自戒として

 如何なるジャンルの、また如何なる媒体も、それを生かすも殺すも、すべては受け手にかかっている。

 例えばミステリと呼ばれる作品を読んだり観たりする際、その作品を実に楽しみたいと思うのならば、時にあからさまな(と思える)ミスディレクションや伏線にも、「気づかないふり」をしなければならないのだと思う。
 その場合、計算して「ミスリードされてあげる」のでは意味が異なるし、またそんな計算をしながら読んだり観たりするのではつまらないだろう。
 「推理モノ」を楽しむときは、犯人が明らかになってゆくプロセスを楽しむという受け皿が必要なのだ(ま、「よっしゃ、犯人みつけちゃろ」と思いながら読むことを楽しんでいる人がいても、それはそれで人それぞれですが)。 

 「面白い」或いは「面白くない」
 「オチが読めた」
 「あり得ない」
 「ばかばかしい」
 「理解できない」
 「意味がない」

 そういった言葉は、実に容易に吐きすてられているように感じるけれど、果たしてその言葉を吐いた人間に、その作品を受け止めるだけの力量があったか。受け皿があったか。
 また、おいらにそれがあったか…。
 そうでなくして安易な言葉で切って捨ててしまうのは、その作品に対して、また作った人間に対して、あまりにも礼を失しているというもの。


 一本の映画に、一冊の本に敬意を払い、常に真摯に受け止めようと思う。
2003年01月15日(水)

メイテイノテイ / チドリアシ

My追加 エンピツユニオン
本棚