粗茶ですが

 喩えるならワタシはコーヒーフィルターで、すべてのものごとはコーヒー豆なのだ(また唐突だなあ…)。

 先日、映画『エンジェル・アイズ』について書けなかったのは、単にワタシのフィルターがそれを上手く濾過することが出来なかったのであり、ワタシがそんな人生を送ってきただけのハナシなのである。


 なにもかもすべて、もうとにかく、なにもかもすべてのものごとは、事実として確かにあるし、質量として確かにそこに存在したりするのだけど、それらに意味や価値を見出そうとしたとき、必ず自己というフィルターによって濾過されたものを飲み、主観を以って感じることでしか判断することができないだと思う。



 
 ならば、更に喩えるならヒトサマに公開しているこの日記は、読む人に振る舞うコーヒーかな。


 ワタシの淹れたコーヒーが、ヒトサマのお口に合うか、などわからない。
 できることなら、誰の口にもあうコーヒーをいれたいけれど。
 でもワタシは、ワタシというフィルターしか持たないので。
 そんなコーヒーしか振る舞うことができないので。


 けれどこんなショボいコーヒーフィルターでもね、
 一応毎日いろんなことを経験して、ちょっとずつ進化しているのだ(と信じたい)。


 精進します。
 まだまだ粗茶ですが。
2002年10月17日(木)

メイテイノテイ / チドリアシ

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