petit aqua vita
日頃のつぶやきやら、たまに小ネタやら…

2003年03月27日(木) 『休まぬ翼3』(三上小ネタ)

一瞬。
その瞳に捕らわれたような気がして、そんな自分が悔しくて、水野は三上を睨み返した。
三上は、大きなボストンバッグを肩にかついだまま、何も言わない。

「……じゃあ……アンタは何処へ行くつもりなんだよ」

先程の問いに、問いで返す。
自分が、先程の交換条件のどちらを選んだのかを伝えるために。

三上は、既に何校かの大学に受かっていた。
その中でも、渋沢が推薦で行くという、サッカーの名門の私立大学に進むだろう、というのは、サッカー部でも既に決まったことのように話されていたのだ。三上に対して関心が薄い自分でも、知っているくらいに。

…しかし、目の前の本人は、違う道をゆくという。
すべて決めてしまったのだという、止められないような、どこか静かな目をして。

「…独逸」

「え?」

唐突に告げられたその単語の以外さに、思わず聞き返した。
三上は眉をしかめる。

「聞こえなかったのかよ。ドイツだ。ドイツ!今から耳が遠くなってるようでどーすんだ、バーカ」
「うるさいなっ!確認しただけだ!!」

ムキになって怒る水野をからかうようにニヤニヤ笑いながら、三上は制服のズボンに手を突っ込んだ。
「ドイツの知り合いが、俺がやりたいことを学ぶんだったら、日本よりもむしろこっちに来い、って誘われてな。…丁度良いから、行くことにした」

水野は、三上の肩に担がれた不自然に大きなボストンバッグに目をやる。
「…今……これから?」
その言葉に、三上はへえ、という顔をした。
「サスガ未来の全日本司令塔サマ。よく気付いたじゃねーか」
軽くあしらわれるような感覚。以前の彼は、こんなじゃなかった。簡単に水野のことを「司令塔」なんで、絶対に認めようとはしなかった。

――こんな三上は……知らない。
置いていかれたような感覚に、焦燥感がつのる。


「なんで……」
「ああ?」


「何で、あいつらに黙ってんだよ!!」

あんなに、チームメイトから慕われているくせに。
10番で司令塔の自分より、信頼されているくせに。
何で、彼らに黙って、姿を消すような真似をするのか。
何で、彼らに知らされないことを、自分が知らされるのか。

――何で。





噛み付くような、水野の視線。そして言葉。
三上はその圧迫感に耐えるように、ぎゅ、とズボンの中で拳を握り締めた。

――痛い。

水野からですらこうなのだ。あいつら……渋沢や、辰巳や、中西や、近藤…そして中等部から慣れ親しんだ後輩たち、彼らに問い詰められれば、この痛みはきっともっと、大きいはず。
三上は大きく息をついて、高校の三年間をすごした寮を見上げた。

「……んなもん、決まってんじゃねーか………」

思い出すのは、騒がしくも、楽しかった日々。喧嘩も、葛藤も、すべて。

「居心地が良すぎんだよ…ここは」

――そう。自分にとって、「武蔵森」は…彼らとともにいた「サッカー部」は……この上もなく居心地が良かった。それに甘えて、溺れる自分を知っていたけど、わざと、それには目をつぶった。
――本当は、もっと早くに飛び立つべきだったのだ。
それを留めていたのは……他ならぬ、自分。…そして。

「あいつらに会ったら……また、あいつらと一緒に居たくなる。……そんなのは、ただの惰性だ。安心はしても、満足できねーんだよ」
自分の、行きたい道があるから。
それは、自分が行くべき道だから。

三上は、かすかにうつむいた。

「……だから…ここからは、俺一人で行かなきゃいけねー。そう、思った」




俯いたまま話すその姿は、どこか不安そうで。
しかしその不安を押し殺してまでも、行くのだという確かな意思も、そこにはあって。
チームの誰にも話さなかったのか、話せなかったのか、それは水野には分からなかったけれど。
――もう、止められないのだ。
それだけは、確かに感じることができた。
…しかし、やはり気にかかる。


「でも……いいのか?せめて渋沢にだけでも……行先くらい言った方が……」
「ああん?何で」

問い返されて、水野はさっと赤くなった。こんなことを、わざわざ本人に言わなきゃいけないのか!!
「……こ……恋人……だろう?」
三上は目を丸くする。
「誰が」
反射的に水野が答える。
「渋沢」


瞬間後、その答えに、腹を抱えて爆笑する三上がいた。
声を上げてゲラゲラ笑う三上は初めて見るもので、驚きのあまり呆然とする。
学校内では、結構有名な話(渋沢&三上恋人説)だと思うのだが、違うのだろうか?
三上は、どうにかこうにか、笑いを無理矢理おさめながら笑いすぎて流れた涙を拭く。
「お、お前まであんなウソ信じてたのかよ?…くくくくくっっ」
「違うのか?」
笑いすぎて肩から落ちてしまったボストンバッグを担ぎ直しながら、三上はひらひらと手を振る。
「違っげーよ、ありゃ中西が面白がって女子に流したデマだ」
中等部の頃に流した噂だけど、妙に定着化したらしくてな、と三上は続けた。

「それに俺、恋人いるから」
「え?」
「今、独逸にいるぜ」

その言葉に、水野はしばし固まった。そして疑わしそうに三上を睨む。
「アンタ……もっともらしいこと言いやがって、単にその恋人に会いに行くだけなんじゃないだろうな……」
三上はニヤリと笑う。
「…ま、それも理由の一つだな」
――ドイツ行きの。

この野郎、と思う気持ちを、水野は止められなかった。
売られた喧嘩は高く買う。

「……いいのか?俺なんかを信用してベラベラ喋って。俺、アンタ嫌いだから、速攻部室に走って、あらいざらい全部バラすかもしれないぜ?」
「おぼっちゃまのオマエに、そんな度胸があるなんて思っちゃいねーよ。それに、テメーの鈍足で部室に着く頃にゃ、俺は成田へ向かう車の中さ」
…やれるモンならやってみやがれ。

2人は、お互いに睨み合ったまま、ニヤリと笑った。




やがて、三上は踵を返し、誰もいない裏門を乗り越えてゆく。
脱走に慣れた彼は身軽なものだ。
それを横目で見送りながら、水野も部室へと足を向けた。

そういえば、自分がJリーグでいない間、三上がチームを仕上げてくれたから、自分が武蔵森に帰ってプレーする時も、割とやりやすかったなとか、三上にノートを見せてもらったこととか、言うのを、忘れていた。
礼を言うべきなんだろうけれども……。

「まぁ、いいか」

今更照れくさいだけだし、三上も、そんなこと言われたくないだろう。
だから、いいや。


藤代にどう言い訳するかを考えながら、水野は、ゆっくりと歩み始めた。
風がもたらす、微かな花の香りを感じながら。


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