2003年02月16日(日) |
『決戦は金曜日3』(オガヒカ小ネタ) |
「緒方さ〜ん、ごめんねー。遅くなってー」 謝りながら緒方さんの部屋に入ると、二重の鍵をかけてチェーンもつけた。このマンションは暗証番号と鍵なしでは建物の中にすら入れないのだけれど、それでもきっちり鍵をかける。マンションのセキュリティだけに頼っていても、浸入する手段はいくらでもあるんだそうだ。 ピッキング防止に、緒方さんはマンション備え付けの鍵を外し、二重のものにつけ替えさせた(それもご丁寧に方式の違うヤツ)。そして、アナログだけど、チェーンもつけておく。何かすごいよな。緒方さん、しばらく海外で暮してたことあるのかな。 勝手知ったるで、リビングに行くと、緒方さんはパソコンの前で棋譜の整理をしていた。 「メールは貰ってたが…そんなに検討が長引いたのか?」 たかが天元戦本選の一回戦だろうが。 「一柳先生に掴まったんだよ〜。あの人、無視してても一人でどんどん喋るからさぁ」 台所に行って、冷蔵庫に買ってきたものを入れる。コンロにある鍋の中身を覗くと…ラッキ、クラムチャウダーじゃん。パスタ茹でてスープスパにしよっと。 「…一柳先生のアレは有名だからな。高段者の間じゃ「落語」って呼ばれてるぜ。おい、パスタ茹でるなら俺の分も茹でておけ」 「何ソレ〜?「落語」なんてまんまじゃん!緒方さんも、ごはん食べてなかったの?」 「今日みたいな日は、どこの店もうざったいんだよ」 あー、そうか。バレンタインだもんなぁ。緒方さんが食べに行くような店は、普段行き付けないようなカップルでごったがえす訳だ。そりゃ緒方さん嫌がるな。下手すると、逆ナンなんて、高級レストランじゃありえない事をする輩もいそうだし。 …実際、クリスマスの時にあったらしい。食事をしに来ただけの緒方さんは一気に気分を害し、ギャルソンが止めるのも聞かずに席を立ったそうだ。「料理の金は払うが、不愉快な場所にこれ以上居続ける義務は俺にはない」緒方さんは、例の有名な「ガンとばし」とともに、低く、静かに言い放ち、それ以来そのホテルに、泊りはしてもレストランには決して行かない。 「大人げない緒方二冠伝説その3」として芦原さんに教えてもらったけど、そうでもないだろうとオレは思う。その場で怒鳴りつけなかっただけでも上出来だよ。そのレストランの「雰囲気」を大事にして、あえて店の人を威したくらいで済ませたんだんだろうし。逆ナンしてきた女は、きっと一ミクロンも考えてなかったと思うけど。それは自業自得だ。 そう言ったら、緒方さんは不機嫌そうにそっぽを向いただけだった。何か様子が違うので、行為の後にベッドで聞いたら、搭矢名人にも、同じようなこと言われたんだって。しかも、「よく我慢できたね」。……悪いけど、悪いと思ったけど、これには爆笑させてもらった。流石というか…何というか。やっぱり緒方さんの師匠だよ搭矢先生!俺が笑いすぎて、おかげで緒方さんむくれちゃって、機嫌取る為にコスプレする約束させられたけど、こんな楽しい話聞かせてもらったんだ、スカートくらいはいてやるって。(外行くんじゃなきゃ)
とりあえず、パスタを茹でて皿に盛り、温め直したクラムチャウダーをかけて、上にチーズを乗せる。その間に緒方さんは冷凍温野菜をレンジでチンしていた。(結構野菜好きだよな)それとビールの用意。 食事しながら緒方さんがしてくれた一柳門下の話は、けっこうすごかった。俺、森下先生の研究会でホント良かったと思ったもん。まる一日正座したままあの先生の話をステレオ放送で聞くなんて、絶対耐えられない。ホント、囲碁界って、高段者―しかもタイトル保持者とか近い人になればなるほど、変人率って高くなるよなぁ。 「そう見ていくと、森下九段は確かに貴重な常識人だな。……おっと」 片付けようとしたら、電話が鳴った。 「緒方さ〜ん。コーヒーでいい?」 「ああ、できればエスプレッソ」 「らじゃ」
緒方さんはよそ行きの声で電話に出たけど、それはすぐにガラが悪くなった。相手は芦原さんだな。
…さて、好都合なことに緒方さんは台所にいないし。 本日のメインデザート、仕上げさせてもらいますか。
そうして俺は、冷蔵庫からコンビニの袋を取り出した。
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