petit aqua vita
日頃のつぶやきやら、たまに小ネタやら…

2003年02月02日(日) 『蝋梅』(ヒカ碁小ネタ。ヒカル19歳)

(京都の夏は最悪だ、と良く聞くけれど、冬も結構すごいかもしれない)

ヒカルは、寒風に吹きさらされながらしみじみと実感していた。
仕事で京都にやってきて、今やっと待ち合わせの旅館についたところなのだが、最寄りの地下鉄の駅からタクシー代をケチったのはやはりまずかった、と反省した。
とにかく寒い。とんでもなく冷たい。
風が吹き付けてくるから寒いんじゃないのだ。
こう、足元から、じわじわと、這い上がってくるような寒さ。
「冷たさ」が、音もなく、しかし確かに存在して、手の先や足の先から凍みとおるようなのだ。

時計を見ると、3時にはもう少し時間がある。
「緒方さん、まだ来てないかもしれないな…」
ふう、と息を吐くと、それはふわりと白くなった。
緒方は、昨日東京で竜星戦のブロック戦があった筈だ。そして明日には、ここ京都で十段の防衛戦がある。対局のスケジュールがいやというほど詰まっているのはお互い様なので、それについて文句を言う気はさらさらないが。
「きっと、予約は緒方さんの名前なんだろうな……」
そう。問題はそれ。

連れとして、一緒に泊る事に問題はないのだが、宿泊の手続きをヒカルが取ろうとすると、大抵の場所で、「保護者の方は…?」と聞かれる。
いい加減、二十歳に手が届くような年齢なのだが、高校生くらいにしか世間では見えないらしい。下手をすると「中学生?」と言われた事もある。
おかげで、子供たちには人気があるのだが……いやそれは置いといて。
ある時など、対局の後の検討が長引いて、遅くなった街を駅へと急いでいたら、補導されてしまい、警察にまで連れ込まれた。年齢を表示するものを何も持っていなかったヒカルは、仕方がないので日本棋院に電話をして、そこの事務員に事情を説明してもらったのだった。その時、「バイクでも車でもいいからとにかく免許を取ろう!」と決意した。そうすれば、せめて身分証明書として有効なものを持ち歩くことができる。

多少気詰まりなので嫌なのだが、ロビーで緒方の到着を待っている方が、無難だろう。こんな寒い外で待っている気にはとてもなれない。
決心がついたところで、ヒカルは玄関へと一歩踏み出した。
その時、ヒカルの鼻をかすめるものがあった。

「……?」

この寒い冬の季節なのに、花の香りがしたのだ。梅の香りにも似た、やさしい香り。
その香りを発していた木は、すぐに見つかった。それには、黄色くてまるで作り物のような花が咲いている。
「こんな寒いのに、咲いてるんだ」
『………と、言うのですよ。春の訪れを、香りで教えてくれるのです』
懐かしい、耳慣れた声が記憶の中で響いた。
そういえば、この花の名前を、彼から教わった事がある。
まだあの頃の自分は子供で、聞き流してしまったから、名前は忘れてしまったけれど。
冬に咲く、春を先触れする香り高い花。
普段は忘れてしまっているようでも、ちゃんと自分の中にある、彼との思い出。

佐為の、あのふわりとした微笑みを思い出し、ヒカルは自分も同じ表情で、笑っていた。


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平 知嗣 [HOMEPAGE]

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