椰子の実日記【JOYWOW】
2003年04月12日(土)
いくらえらそうでも漢語は野暮
耳できいてわからない言葉は言葉ではない。
よって私は商品の企画書ができてきたら電話でまず 話してもらいます。電話で聞いてわからなかったら まず、ほかのどんなすばらしいメディアを使っても わかりっこないのです。ブロードバンド? 関係ない(*)。
*註:そういえば、私の私製辞典のブロードバンド の項はこうなっています。 【ブロードバンド】:(名)路傍にて無料で袋を配ること
沢村貞子、市川猿之助、志村けん、矢沢永吉、由美 かおる、諸氏の本がわかりやすいのは科白や音で 食べているから。
大学時代勉強しなかったのは、哲学書や社会学書が 難しくって読めなかったから。翻訳となると、もう、 宙返りしているような文章で、何が何やら、わからない。 これは自分の理解が足りないせいだと思っていたのですが ある時翻訳書が高くて手が出せず、原書のほうが安い時 があったので原書を読んだらすらすらわかった記憶が あります。要するに、「人に読ませる文章を書いた ことのない先生方」が書いていたのです。
隠居したら、当時歯が立たなかった哲学書を翻訳したいと 思っています。・・・ん? これって、隠居じゃないですね。
ともかく、耳で聞いてわかるような言葉を使うようにしましょう。
「いくらえらそうでも漢語は野暮」と言われていたのは明治。 大和言葉は本来耳で理解します。宮大工の世界でも、仕事の技 の伝承は、口伝(くでん)といって、耳うつしです。
さて、世に出回っているビジネス書、特にMBA方面の本。 電話で聞いて、わかりますか? 書いているひとたち、本気で わかる、と思っているのかな。それとも、あれらの本は 「持っている」ことが一つのファッションか気休めで、 それはそれで意味があるのでしょうか。MBAそのものと同じく。
参考:完本 文語文、山本夏彦、文藝春秋
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