椰子の実日記【JOYWOW】
2003年02月18日(火)
クミトリの経済学
昔、トイレはすべてクミトリ式でした。
クミトリに来てくれる「サービス」に対しては お代を支払っていたようです。公共のサービス ではなく、個人対個人の話だったみたいです。 さらに時代をさかのぼると、クミトリした ものを使うお百姓が、対価として、米や野菜 などを置いていったとさ。
天保の御世の頃、滝沢馬琴が、あるお百姓と 契約していました。馬琴の家族は7人なので、7人 の「生産物」に相当する対価、即ち、干し大根 300本と、茄子を家族一人あたり50個、一年間に 納める契約でした。ところが、7人のうちこども が4歳と2歳で、大人と同等の「生産物」の「量」 を期待できないと、お百姓が値切り、5人分 しか茄子を持ってこなかった。馬琴は頭から湯気を 立てて怒り、その茄子をつきかえしたそうな。
なんともまあ、とぼけた味わいのある話です。
私の大好きな作家、山田風太郎さんは、この エピソードからさらに連想し、ゆくゆくは 生産者がお金を支払う図式が定着する、ひいては 作家が自分の作品原稿をお金を出して版元に 買ってもらうようになるだろう、という不思議かつ 痛快な想像をふくらませてゆくのですが、詳しくは 氏の作品『死言状』(角川文庫)のお楽しみと しましょう。
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