あの頃 携帯電話はもっていたけれど、メールはなかったかな。 パソコンは、どうだっかな。 私はドリームキャスト(!)でネットを見ていたかもしれない。 もちろんもっと前は、ふつうの電話で、それから絵入りのFAXのやりとりもよくしたね。 感熱紙の時代だから、マーカーを使えば黒くなるし、壁に貼っておけばやがて字は薄れて読めなくなった。 別々に出かければ絵葉書を送った。 たいてい届く頃にはもうお土産をもって直接かおをあわせていたけれども。 切手をはらない手紙もよく書いた。 友人経由で渡してもらったり、置手紙をしたり。
でも、わたしにはスクーターがあったし、あなたはタクシー魔だったし、 決して口には出さなかったけれど意識的にいつも近くに住んでいたから、 電話さえわずらわしくて、深夜でも 「あー面倒くさい。今からいくわ。」 と、結局あって、話をして、 たくさん たくさん 話をした。
たくさんの小さなことはもう一人では思い出せないです。 あの時ああだったよね〜 と話し合えばきっといくらでも思い出せるのだろうね。
さいごに残った 二つの会話と、二つの手紙。 もう何度も書いているけれど、今日もわたしはお墓にはいかないからこの手紙をおくります。
好きな人に同じくらい好きだと思われているか不安で(あなたのことよ)、 しつこく試すような大人のくせに小学生のようなまねをした恥ずかしい私に、 「ちゃんと好きだから大丈夫。」 と言ってくれたこと。
もう話せなくなって何週間にもなって、 でも聴覚は最後まで残っていると小耳にはさんだ私が、 毎日毎日しつこく枕元で一日中話しかけていたら、最後とうとう足の親指で返事をしてくれて、 YES の時は 指を動かしてください方式でかわした長い会話の一部。 (医者はがんとして ただの反射です、自分の意思で動かせているわけではありません、と認めなかったねー。ばかめ、ざまみろ 頭でっかちめ)
「あなたのこと(私のこと)は心配していない。」 (心配? と聞いたら 動かさなかったでしょ。子供のことも心配していなかった。ただ、旦那と実家との今後の関係を心配していたね。わっはっは。)
愛されたがりのわたくしは なんだよ〜 と拗ねたけれど、そのとおりでした。 大丈夫でしたよ。
手紙は もう字が書けなくなったころ、まだ話はできたんだよね。 だから口述筆記のFAX。 わたしが編んでおくったふわふわのピンクの帽子に、 「どうしてこういう帽子を欲しがっているってわかっちゃうのかなー。 まったく わたしたちって 笑っちゃうくらい仲良しだよねー。」 そうです。目をあわすだけで可笑しくなるくらい以心伝心でした。
最後の手紙は、わたしのもとには届かなかったけれど、じつは盗み読みしたことを告白します。 五十音板とまばたきでの、家族との会話ノート。 最後の方は、まばたき さえもままならなくなったんだな、と さなち とか、のた とか、ことばになっていない最後の二つの単語の前に、 わたしの名前がありました。 呼んでくれてありがとう。 間に合ったよね。
あなたがうんと先にいったので、わたしはだいぶ怖いことがなくなりました。 あなたはどんなひとだったかと聞かれても、 別に全然天使のようだったわけでもなく、普通の女の子で普通の女性で、 ただ普通より少し仲がよかった友達。 今でも 親友だった なんてひとから言われると身もだえするほど恥ずかしい。 でもあえてよかった。 一緒に過ごせて楽しかった。
いつまでもこうして手紙を書いていたいけど、 またね。
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