痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2006年03月08日(水)  しきり

昨日のライブはしきらさせて頂きました。
前日にバンマスが血を吐いてぶったおれてしまったので、仕方が無かったのです。
もちろん彼はピーポー車で病院に叩きこみました。
幸い重大な病気ではなさそうです。

大人になってからわたくしは仕切ることを避けてきました。
それはもちろん仕切られる方が楽であり、
自分が生まれついての仕切り体質だと知っているからです。

小学生の時は集会委員長として、運動会・学芸会・全校集会・毎月曜の朝礼、
と千人の生徒を仕切っていました。
運動会で千人を前に、朝礼台の上でラジオ体操を仕切った小学生もあんまりいないでしょう。
学芸会の司会・進行も仕切りました。

子供の頃は本来の気質に正直ですから、各委員会に入れる四年生の時からわたくしは三年間、集会委員でした。
無駄な会議とか、どうでもいい多数決が大嫌いでだれもたいした意見がないなら、
チャッチャとものごとを進めたいのがわたくしです。
生徒会は、選挙運動だけが派手で、その後は会議ばかりなので立候補しませんでした。
しかし選挙対策委員はやっていました。
もちろん仕切って、我が組の候補を当選させました。

大人になると、ものごとはそう簡単には決まらなくて、無駄な会議もけっこう大事だったりすることがわかってきたので、
そこを無理に仕切るのは、気持ち良くないのでやめました。
それに高速で仕切りが回っているとき、仕切っている人間にはまわりの人間はコマにしか思えなくなるのです。
思春期にそういう自分がいやになったことも身をひいた理由のひとつです。
そうして長い時間がたち、誰もわたくしに仕切りをまかそうとは考えなくなるほど
自分でも仕切られ体質が板についてきた 
もう絶対仕切り屋さんはやりたくない、
と思っていたのですが、やってみれば簡単でした。
軽く仕切って、あとは他のひとにふる、任せる。
まわりが本当に気心がしれている、そしてそれぞれが独立していると軽く押すだけでものごとは進んでいきます。

みなさんほんとうにありがとう。

そしてまたわたくしは仕切りからは手をひかせていただきます。
本当にやらなくちゃいけないときにはまた出てくるぜ。


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