| 2003年08月10日(日) |
本日のテーマは 運命 です |
というのは、今日まさに帰ろうとした途端、一日そうでもなかった風雨が、突如として荒れ狂い、傘のほねが折れるは、この夏に買ったサンダルの皮は浮いてくるは、全身じっとり濡れてじっくり電車の冷房で冷やされて洟は垂れてくるは、やっとのこと隠れ家に辿りつくと、なぜか早い流れの雲の間から夕焼けがみえているは、セミは鳴くはで、心底やるせなく、濡れた身体を乾かして もうまさにこんな時のために買っておいたかのような、20年前の少女マンガの文庫を積み上げ布団の中で熟読のあげく、ダーダーと涙を流したあとだからです。
わたしが世の中でもっとも憧れ、尊敬の念を抱くのは 物語作家 であります。 口からでまかせは得意でも、ついに物語りを紡ぐ才能はないのだ、と気付かされたことが人生最大の絶望でした。
数多の人間を緻密に、ときにいきあたりばったりに 誕生させ愛させ憎ませ別れさせ誕生させもつれさせ殺し許し、そして最後に そんな時もあったのだよ、とバッサリ幕をひく。 みながみな、自分の意思で動いているようで、ひいて眺めている読み手には、誰もがやがて大きな運命の渦にからめとられていくのが見える。 激しく感情移入した人物には心から幸せになって欲しいと、考えられるあらゆる選択を想定しながら読んでいるのに、あっさりと裏切られて そんな馬鹿な、と唖然とする間も無く悲劇の幕は閉じる。 もしくは、すれちがってもすれちがっても、ここぞという、もうこのタイミングでしかありえない瞬間に、想いは伝わる。
そう、物語はどんなに迷走しても すべては、あらかじめ決められた結末へといたる。 抗えない枠の中で、運命に打ち勝とうと、いやその手から逃れようと全身全霊でもがく人物は魅力的だ。登場人物たちは、その先の落とし穴に気付いてはいない。その先を見とおせる読み手には、そこが愛しい。 ああ、おまえ とうとう運命から逃れられなかったんだね、と紙面を撫でてやりたくなる。
なにかに背いたがために破滅したり、ひとと違うなにかを獲得したり、時の利にすべてを得たり失ったり。心の声に従っても逆らっても、そんな個人の思惑を超えたなにかがあるのだ、と信じさせる力。それが運命ならば従おう、と一瞬思わせられてしまう力を物語は持っている。
ひとには生まれてきた役割があるのだ、という前提なしに物語は語れないのかしら。 みなが、その時その時で思ったことをしゃべり、やりたいことをやっていると、面白いエピソードの集まりにはなるけれど、物語にはなりにくいなあ。 拾い読みできるようなのは物語ではないもんね。 自分は大きな物語のたばの細いひとすじの糸であると思うより、小さな一瞬のドラマの主役である、ってみんな思いたいもんね。わたしも・・・う〜ん。
それにしても、愛するものと信じるものが別である、という葛藤を抱く人物がいないと物語は盛り上がらない。 20年前にこのマンガを読んだときには少々うざったく感じていたように記憶する登場人物に、今回激しい恋に落ちてしまい、彼を思うと胸が苦しいほどよ。 Yes!Yes! 彼はこうとしか生きられなかったんだよね。ああ、でももう少し自分を許していればヒロインと・・・ しかしヒロインは今読むと、もうひとつ大人になってほしかったヒーローの不滅の恋人であり、そしてやっぱりこの二人にもう少し運命が優しかったら、と今でも涙ダーダーなので、つまり物語はあらかじめ決められた結末からは誰もどうやっても動かせないのだ。 だって運命なんだもん。
と物語はひとを馬鹿にする力ももっている。
最近題名が長めなのは、その方が目次のレイアウト上バランスがいいというだけのことです。
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