痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2003年06月26日(木)

ひとに毒になるものはいろいろある。
毒になるものは耽りやすい。

ひとり は毒だと思う。
傷ついたとき、心を整理したいとき、ひとりになるのは必要だけれど、そのまま ひとり に耽ってしまい、抜け出せなくなる。
また、傷を癒すと同時に 心の荒廃をすすめたりもする。

もうボロボロのひとには、ひとりで居てはいけないよ、と言う。
けれど、わたしが一緒にいてあげるよ、と言う気はない。だから説得力がない言葉と受け止められてしまうかもしれないけれど。
いいわけではなく、話やすいひとと、本当にそばにいて救いになるひとは別だよ。
心底ボロボロで、話もできない 表情もつくれない、そんな時はもう、どんな自分でもしかたないと 家族だからと、親友だからと、ご飯をたべさせて、お風呂をわかして、洗濯した服を用意して、 いまは仕方ないと泣いて許してくれざるを得ないひとのところにいるしかない。

誰もが言葉を失うほど立て続けに家族を亡くして、ひとりオイテイカレテ、呆然としてしているあなたに、わたしの言いようは冷たいようだけれど、まだ行くところがある、大人なんだからと頑張っていないでそこに逃げ込みなさい。
わたしのもののわかったような言葉に、大人としてバランスを保ったまま癒しを得ようとしても、そんなことは無理なんだから。
言葉じゃない、誰かの気配 体温 気配り が それらは時に耐えられないほど苛ただしいけれど、最後には 立ちあがる力になってくれる。

ボロボロのままひとりに耽って、誰の呼びかけにもこたえず、ひとりで死んでしまったひとを知っているよ。どんな死に方でも 最後はおなじと思うけれど、そのあまりの寂しさにそれほど親しくなかったのに、忘れられない。
もしも救えたとしたら、それは言葉ではなくて 閉じたドアを抉じ開けて 病院につれていき、治療させ、食事をさせ、病気なんだからしかたがない、と面倒をみる。
そのはじめの「ドアに踏み込めるひと」だったと思う。その時の彼にはいなかった。友人や知人には 心配してドアを叩くところまでしかできなかった。

わたしはあなたのドアを抉じ開けることはできない。あなたもわたしのドアを破ったりはしないでしょう。父や母や、amiや compan~erosや 破るひとは別にいる。
言葉をもとめないで、ひとりでいてはいけない。


もうひとつの毒は 想像力かな。
わたしが耽溺している。
あまりにも生き生きと、無限のバリエーションで 想像ばかりしていると、現実には起こっていないこと、なにも実行していないこと などがどうでもよくなってくる。
どんなバーチャルリアリティもかなわない満足感があるからね。
そうして本当の望みがなんなのか わからなくなってしまう。
将来も、恋愛も、成功も、表現も、味わいつくした気持ちになって、他者からNGをくらうようなチャレンジを現実に行うことが、怖くなったり ひどいことに 億劫になったり。

「どうせ」

と思ったらおしまいだ、とココに踏みとどまろうとしている。


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