懐かしき人々と懐かしき場所にて懐かしき話をし、懐かしき酒を飲んできたっす。 たまにする思い出話はなんて楽しいのでしょう。 わたしは個人的な思い出話をするひとがいなくなってしまったので、主にある時期のある集団の思い出話がいまあるすべてなのですが。 そうして楽しいお酒を飲んで、でも大人って三々五々別れるのですよね。 わたしはいつまでも子供ぢみて、なかなか別れたくないのっす。最後の集団にいつまでもくっついていたいのっす。 みなさん、家庭や連れ合いや恋人がまっているんだよね。
好んで いや好んでいるのかな。長く独り身を続けてきましたが、人生の連れあいが欲しくないわけじゃない。うちに帰って、 「今日ね、こんなことがあったよv」 と話せたらどんなに楽しいのでしょう。 でも、想像しすぎて、夢や理想が膨らみすぎて、簡単に 「わたしのパートナーになってください」 とはいいにくいっすよ。重いもん。自分もいきなり、 「結婚してくれ」 と何度か言われたことがあるけど、なんで・・・?だったもんね。 でも恋愛シストに言わせると、なにがハードルなのか分からないそうですが。何度でもやりなおせばいいじゃん、ってことらしいよ。 それも一理ある、と思いつつ 自分のやりかたじゃないな、身につかないな、ってことなのです。メイクドラマ体質じゃないんでしょう。 運命論者だから。赤い糸の伝説信者だし。 寂しさの果てなんくにぞ今日も旅ゆく。牧水は中学校でならったけど、上の句は忘れてしまいました。
あんなこと言うつもりじゃなかった こういうふうに物事を進めるはずだったのに、今なぜこうなっているの? あいかわらず、そんな日々なのですが、原因が一部わかりました。 ひととお話していて、答えなくてはいけないとき、たいていは そうだけどそうじゃない そういう気持ちもあるけどそうでない時もある 心に正直になると返答はこんな風になりまする。 でも、いつもそう答えていては話にならないっす。なにを聞かれても 「これが好き。嫌いなときもあるけど。」 「たいていはそうするかな、そうでない時も多いけど。」 「やったりやらなかったり、したかったりしたくなかったり。」 と返事をしていては、自分に正直なのかもしれないけど、コミュニケーションしようという気持ちの薄いひとになってしまいます。 で、その場の反射でどっちか決めて、深く考えず断言してしまう。 「これが好き。」 「これがしたい。」 「大嫌い。」 自分の頭の中では、あらゆるバリエーションが想定できるわけですが、現実のその場その場ではとっさに決めていかなければならない。気持ちで通じるだけじゃなくて言葉や行動でわかってもらえるよう、 「どちらかといえばこっち」 を選択して提出している。当然 ほかの人々もゴマンと考えられる中からとっさに決めて答えたり行動したりする。 で、びっくりするぐらい 自分の勝手な思惑とずれていったりするのですね。
折り合い。
特に決まった主題のない日の日記はぜんぶ 徒然草 にします。
割り箸の袋にいつのまにか楊枝が入っているようになってずいぶんになりますが、コンビニが全国に普及してからかな。 あれあぶない。 いつのまにかポロっと床におちている。踏むと泣きます。画鋲どころの痛みじゃないよ。 つれづれに思い出したので。
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