なにも考えずに身体が動く。 思ってもみないことをやっている。
不思議。
たとえば、今日わたしは御茶ノ水から帰ろうとして、たしかに地下鉄のホームで、 「2番線に我孫子行きがまいります」 というアナウンスを聴いたのに、気づいたら例によって大手町にいました。 わが生涯、なんど用も無く大手町を訪れたことでしょう。大手町が上り下り同じホーム向かい形式であることだけが幸いです。いや、痛い目(階段を上り下りする)をみないから身体にしみないのかも。 外国の映画によくみるジェスチャーのように、頭ノックノック「お留守ですか?」 もちろんお留守だったんです。
駅の階段の踊り場にでていた古本屋でたったいま買った文庫本が上下2巻セット400円だとおもっていたのに、エスカレーターでみたら、同じ本が2冊輪ゴムでくくってあっただけで、自分は千円札をだして、おつりを見もせずに財布にしまってしまったが、この2冊の本にはそれぞれ400円の値札シールが貼ってあり、お店のひとはしっかり800円領収したのかもしれず、200円のおつりも600円のおつりも銀色の硬貨2枚だから、わたしは600円財布にしまったと思っているけれど開いてみたら500円玉はどこにもないかもしれない、けど雨もふってきたし地下鉄はもうホームに着いたし早く帰って今さっき買ったこーじーこーなーのチーズケーキを食べながらこの本を読みたいわけで、万が一800円支払っていたとしても階段を上って返しにいくのもどうよ、ねえマユちゃん。 こんなことをぼんやり自問自答しながら目の前の地下鉄にのって文庫本のカバーを毟り取ったり、こっちの汚い方は腹が立つから捨ててしまおうせっかく上下巻の長い話だと思ったのにすぐ読み終わってしまう面白そうだったらとっておいてフランスで読もうと思ったのに、そういえばむか〜し、1ヶ月スペインをブラブラしていた時に行きづりのひとにもらって読んだ「火宅の人」は日本にいたら絶対にすすんでは読まない小説だけれども面白かったなあ、なにより長くてよかったいつまでも読み終わらない本はいい、でも無頼派にかぶれて帰ってビデオでみた映画「火宅の人」はつまんなかったなあ、とドアがあいたので、見たら 大手町だったのでした。
このようにとりとめもなく頭はなにごとか浮かんだことがらを追っていてこの流れのどこにも目の前の車両が1番線なのか2番線に着いたのか確かめた瞬間はないのでした。 なのに、身体は動いて地下鉄の乗り込んで吊り輪をつかんでいたりする。
不思議です。
蛇足ですが、財布には500円玉はいってました。チーズケーキはもう食べてしまいました。本はむかし読んだことがある本でした。訳者がかわって、題名も微妙に違う新訳&出版社が違う でした。むかつく。更にむかつくことに、ちらっと読んでみたら新訳は味気ない文でした。訳者がどう伝えたいのかなにも伝わらん文でした。 以前、本編と続編で訳者が違い「父さん」が「父ちゃん」に また別の本では姉の名前「グロリア」が続編で「ゴドイーア」になっていた時にはショックを通り越してあきれたのですが、それは原文を読んで訳者が日本語でこう読んでもらおう、と選んだのでしょう。 でも読者のこと考えてないよね。
そういえばホームの最先端で、千代田線の走り行くさまをデジカメで撮っていたひとがいました。ホームページのアドレス教えてください、と自分がシンから変人だったら尋ねることもできたのに。
|