みそおでん って美味しいもんだね。
歌でもお話でも、自分の好みというか、感動しやすいパターンというか、これが王道であり黄金の道である、と信じている流れがあってそれは、
おもしろうてやがてかなしき
芦屋雁之助ですがな。 そのあとで、もう一度 反転。
かなしくて、そのあとポカーンと頭が真っ白 感情の真空の時間があって魂が抜けてしまい、もどってきた時には、もうなんだかおかしくなっているのさ、かなしみさえも。
というようなもんですがに。
そんでもって、また昔話なんです。恐縮です。
にわか昔話大好きっ子となって、300編あまりのお話を読んでみたわけですが、たんに印象ですよ。東北とくに岩手のお話は、話が入り組んでいて多重構造。九州四国のお話は飛躍はあるけど、聞き手を突き放したスタンスでおしまいがむしろ乱暴に感じるお話が多いように思いました。 同じように始まっても、結末や話の持っていき方、なによりキャラクターが同じような行動にでるにいたる動機の説明などに、あきらかに南と北の違いを感じます。山梨長野あたりのお話も結構エピソードの積み重ねなんだよな。 そんな中キラリと光る、まあ単にわたしの好きなお話が多いのはなんと、 新潟(あたり)だったのです。 なんとも余韻がいいんだ。
中でも、ベストオブベスト。今のところ一番好きなお話がこの「爺と蟹」なのです。
爺さんが川にいくと蟹がいたので、持って帰って縁の下で飼っていた。 爺さんは美味いものを手に入れると真っ先に蟹に分けたので蟹は爺さんになついた。 蟹はとくに、爺さんがまちにいくと買ってくる焼芋が好きだった。 爺さんが ♪じじこそ 参った かにこそ こそこそ♪ と呼ぶと蟹はいつでも縁の下からでてきてウマイものをもらった。 ところが、婆さんは爺さんが自分をおいて先に蟹にウマイものをやるので激しく嫉妬した。 そこで、爺さんが留守の時に蟹をいじめようと、爺さんのうた♪じじこそ・・・♪をまねて、ノコノコでてきた蟹を驚かすつもりで棒でコツンとぶった。 が、打ち所が悪くて蟹は死んでしまった。 婆さんは「えらいことしてもうた」とあせったが蟹が大好きだったので、煮て食べてしまった。 証拠隠滅のため、婆さんは蟹のこうらや殻は裏の竹やぶに埋めた。 爺さんが焼芋をみやげにもどり早速♪じじこそ・・・♪と呼んだが蟹はでてこなかった。 裏の畑で遊んでいるのかと探したがいなかった。 ぼんやりしてると、きれいな小鳥が竹やぶからやってきていい声で鳴くとまた竹やぶに飛んでいった。 爺さんは小鳥に心ひかれて竹やぶにいてみると、小鳥がまたいい声で鳴いてある場所を足でかいていた。 その土は誰かが掘りかえした形跡があった。 ???と思いながらも爺さんがそこを掘ると、蟹のこうらや足がでてきた。 「なんとむごい。これは蟹をよく食べるばあさんの仕業かもしれん」と、 うちに帰って 「ばあさん、かわいそうなことをしたな、蟹は竹やぶで死んでいるよ」と、 言うなり爺さんは悲しみに倒れてしまった。 婆さんはびっくりして反省し、 「かんべんしてくれ。殺すつもりでなかった。おどろかせようと叩いたら死んでしまった」と、 泣きながらあやまった。 爺さんはやっと起きあがり、 「いいよ、謝るならゆるすよ」と、 婆さんを許し、二人で竹やぶに蟹の墓をつくった。 それからたまに、きれいな小鳥がやってきていい声で鳴くようになった。 おしまい。
どうですか。焼芋好きの蟹。蟹好きの爺さん。蟹(を食べるのが)好きな婆さん。 女の嫉妬。食い意地。蟹が畑で遊ぶかっていうの!そんな判断もできずぼんやりする爺さん。倒れる爺さん。それを見て悔いる(蟹がカワイソウというわけではないらしい)婆さん。許す爺さん。そして余韻。
ちょっとガルシア・マルケスのようではないですか?ごめん、2作しか読んだことないんだ。
なにより、呼びかけというか唄がいいよねえ。 「こそ」は(我)こそ、と 来そ(来い おいで)、と コソコソいう蟹の動きと掛けているのでしょう。
♪爺(だよ)おいで おいで 蟹コソコソ おいで おいで♪
かわいいぞ。爺さんは蟹をさがしてあっちこっちでこう呼んでいるのです。
そして、自分はペットのように可愛がっていても別のひとから見たら食べ物(好物)なんだよね、って爺さんもわかっている。正邪の二極化でおわらない。
爺と蟹。ベストです。これを新潟の古いことばで聞いてみたいがに。
そしてこんなうたがうたいたいがに。
|