痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2002年12月28日(土) 年のおわりに

つい、世間につられてケジメをつけたり、節目を数えたり、アニバーサリィ、なんて御託をならべてしまいます。
そりゃあ、プレゼントもらったり、知ってはいたけど行ったことのない店にいったり、精一杯サプライズな日になるようプランニングしたりは楽しい。
でもなんでもない日でもじつはできるわけで。
やっぱり、ひとつには言い訳、そして勢い、なにより自分だけが無駄遣いして貧乏になるわけではないという安心感。かな。GOサイン。信号あお、ってかんじ。

誕生日も新年もなんちゃら記念日もクリスマスもバレンタインデーもグルグルぐるぐる回っては過ぎていき次の日は普通の日。時間がたつのは早いけど、数えなければとっても長い。
ただ、記念日がないと、ロトくじを買うのに迷ういそうだね。

みんな勝手に時間の単位を自分流にはかったらもしかしたら面倒なことになるのかもしれないけど、どこかで帳尻はあうような気もします。
だって誰かが死んで、ふつうの時間の流れから抜け出しても、子供が生まれたり、時間単位がもとから違う生き物と暮らし始めても やがては折り込み済みになっていく。

たまたまクリスマスイブに大切なひとが永い眠りについたとしても、勝手にめぐってくるイブごとに、悲しさ寂しさを増幅されたりせずに、いつかやりたければクリスマスの名の元に笑ってほしい。
記念日の名に許された喜びと、自分だけのさよならのおもいでとは、まったく別の意味、別の時間の流れがたまたまその”日”という接点だけですれ違うだけだから。

わたしはひとを慰められない。カワイソウだと思ってもカワイソウ二と言えない。だから時間をおいてあいたいです。あれは助けてコールだったのかもしれないけれど、助けてはあげられない。聞いてあげるだけでいい、方式の助けさえできない。きっと聞けばわたしもひきづられる。それはたぶん二人ともに苦しいことです。
でも、この先連絡が途絶えても、いつかは12月にも笑っていると信じています。

一年の終わりが近づいて、なんとなく誰もが時間について考えたり口にだしたりしている。年・月・日・時・分 そんな単位は砂時計のような、残り時間を計るもののように思えて、すべてのものがその単位の中ではスタートが同じでもゴールが違う、そのゴール時のタイムが大きな意味を持つような、よく言われる冷酷で無慈悲なモノサシの中でみな生きているような世界観をついつい抱いてしまう。
自分もふと気づくと「しかたない」と、なににとはなく観念していたりする。

観念するのも好きだ。けど、そうでないのも好きだ。
だから、与えられた時間の不公平を観念しきれないときには別な時間の単位だってあることもたまには思い出すのです。
生まれてから死ぬまで、つまり一生。
この単位は誰もが0と1しかもっていない。

その中身というのはまた別の、時間とはちがう命題の話しになりまする。いろんなことがごちゃごちゃに感情として胸ににせまって来るときには、なるべく頭の中でひとつづつの持つ意味を分けてみます。何年かかっても。

年末らしく大掃除の話しでした。


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