Kin-SMA放言
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2005年03月28日(月) 気を悪くされるかも知れませんが、思ったことを正直に書きます

『SMAP×SMAP』特別編 サワディー! 僕が旅で見つけた宝物 草なぎ剛がタイで出会った19人の子供たち

感想を書こうとしたら、臨時ニュース。

スマトラ島沖でまたM8.5の地震が起きたそうです。

去年暮れの地震と津波による行方不明者もまだたくさんいるのに、自然の脅威は人間の都合など待っていてはくれない。

人間は自然に“立ち向かう”ことなんてムリなんだ。自然の厳しさから逃れられないのなら、せめて、人間同士が追いつめ合ったり虐げ合ったりしないように助け合ってがんばるしかないんだろう。



じゃ、閑話休題。

この「希望の家」を取り上げる番組にツヨぽんが出る、しかも『SMAP×SMAP』特別編でやる、と知った時、ぼくが思ったのは、

「どうして?」

だった。

それには二つの意味があって、一つ目は、

「どうして『SMAP×SMAP』スタッフは、特別編で「希望の家」を取材する気になったんだろう?」

そして二つ目は、

「なぜそのナビゲーターとして、5人の中からツヨぽんを選んだんだろう? どうしてツヨぽんは、『タイの孤児院を訪れる』っていう旅をしようと思ったんだろう?」

だった。

で、前者には、ぼくはむかーしから知ってるつもりの、シニカルな答えを想像していた。

つまり、何年かテレビを観てると気づくように、

“可哀相な人たち”を訪れるのって、人気タレントの大事なお仕事の一つだから(誤解を招く言い方その1)

特に、子供がらみになると、これはもうアイドルが必ず通る道である。

ぼくがまだ子供で視野が狭くて生意気な頃は、そういうのを「偽善」としか捉えられなかった。

だから、ツヨぽんの大先輩であるフォー○ーブスのお兄ちゃんたちが、不治の病に冒されている、彼らの大ファンの女の子のところにお見舞いに行って元気づけたりしてる雑誌の記事を読んで、「・・・」と思っていた小学生時代。

同級生と一緒になって、「病気すると○ー坊に握手してもらえるんだよ、いいねー」なんて恐れを知らない残酷なことを言ってることもあった。

でも、そんなバカな偏見も、ちっとは成長すると薄らいできて、だけど今度は、

「こうやって行ってる芸能人てさ、ホントに分かってやってんのかね? だいたい来られる方は迷惑なんじゃない? 自分たちの苦しい生活はずーっと続くのに、撮影隊は一瞬だけやってきて、かき回して帰って行くだけなんだから」

と、いかにも自分が世の中を裏を見抜いてるようなことを思っていた高校時代(高校まではジャニオタじゃなかったもんで/恥)


※実際、中にはそういう「浅い」モノを作ってるやからもいますよ。ぼく自身、昔「高齢者専用住宅」や「精神病院」を取材したとき、中の人に「野次馬根性で来てるんだろ」というモロな反応を返されたことがある。こっちは“真実を伝える”使命感に燃えてるつもりでも、取材されてる側にとってはそうでもないんだ、と思い知らされた。まぁそういうのって、取材のやり方に問題がある場合が多いんだけどね。


そんな考えがいかにも浅かったことを教えてくれたのは、実は、あるマンガなのである。

新選組ファンの方には『風光る』でおなじみ(つっても、今回は関係ないが)の渡辺多恵子氏。彼女が“例の、日本中を席巻した、あの伝説のジャ○ーズアイドル”をモデルにした(ホントよ)大傑作ヒューマン(とぼくは思っている。一般には“ラブコメ”と思われてるようだけど)マンガ『はじめちゃんが一番!』である。

エピソードにタイトルがついてたかどうかは忘れたが、この物語の主人公の五つ子アイドルグループが、テレビのドキュメンタリーの企画で難病の子供たちを訪問することになり、その撮影を次男がバッくれてしまうのである。

5人の中で一番思慮深くしっかり者の次男が、なぜそんなことをしたのか。

これ詳しく書くと長くなるんで、興味のある方は是非読んでみてください。ぼくはアイドルヲタのバイブルだと思うとります(自信満々)

で、その中に、こんなセリフが出てくる。

「お見舞いに行くのがいやなんじゃないよ。それを“カメラで撮る”のがいやなんだ」

ね、純粋でしょう?(←浸るな)

だけど渡辺さんは、そんな“純”なアイドルの少年に、ラストでもう一回り“大人な”答えを出させる。それにぼくは感動しました。

それは、

「“カメラで撮る”ことは偽善じゃないんだよ。カメラを連れて行くことこそが、アイドルであるキミが行く、もう一歩先の“価値”なんだよ」

ってことであった。

これ以来(このマンガを読んだのは、1989年頃でしたろう、多分)ぼくの中に、

「芸能人が“恵まれない人を訪ねる”ドキュメンタリー番組=偽善」

という公式はなくなった。

そらぁ、視聴率で完成度を判断されるテレビ界。本だって売れてナンボ。作り手には「仕事として成り立たせなきゃならない」っていう意識も当然あるはずだ。

だけど、それを凌駕するぐらいの使命感や熱意がなけりゃあ、おえりゃあせんぜ。

だからぼくは去年のこの番組(→)に対しても、好意的な印象を持った。

「お涙頂戴」は基本的に嫌いだよ。でもベイベだから許せたなんてことも書いたが(^^ゞ



さて、ぼくのノスタルジーはここまでにして、現代に戻ろう。

上記の二つ目の疑問、ツヨぽん側の答えは、去年の国連大学での講演にあったのだね。

もっと「子供たち」というものを知りたい。もっと広い視野で。

黒須さん経由で「希望の家」のことを知り、

「今行かないと、ホントにもしかしたら、そういうとこ(一生)行かないのかな、って思う・・・」

という気持ちになったのだね。

そんなツヨぽんの気持ちに納得しつつも、一方では今回も、

お涙頂戴だったら、がっかりするよ

というイジワル目線で観てたのだ。

・・・良かった(^^)

観終わってぼくの胸に残ったものは、おセンチな涙などではなく、あの孤児院の子供たちの精神の素直さと力強さ、「希望の家」の人たちの、子供たちの将来への冷静で明確なビジョンだった。

確かに、1時間番組だからすごい駆け足の感があった。

それ以前に、「三日間」だけの滞在者だったツヨぽんいや“ピーゲン”は、彼らの記憶に果たしていつまで残るのやら(暴言)

おそらく「草なぎ剛という、日本ですごい人気のある歌手・俳優が来た」って記憶は残らないと思う(暴言2)

でも多分、「あんまり子供好きそうでもないのに(暴言3)一所懸命遊んでくれた、変わったチャーハン作ってくれた色の白いお兄ちゃん」は残ると思う(*^^*)

当然ナレーションもツヨぽんだったのだが、当初のぼくの予想よりもトーンが高めで、なるたけ深刻な印象を与えないようにしているのが分かって嬉しかった。



それにしても、ベイベが行ったカンボジアの子もそうだったんだけど、東南アジアの子供たちって(と限定していいのか?)どうしてこんなに人懐っこいんでしょうね?

“人恋しい”のがその理由だとしたら少し哀しいものがありますが。

あ、いや、そうか。

すごく懐いてくる子はカメラに映りやすいんだ(←何言いたいの?)

「希望の家」には19人の子供が暮らしているそうだ。中には全然カメラに映らなかった子もいたに違いない。

引っ込み思案で人見知りな、ツヨぽんみたいな子(オイ)もあの中にはいたのだ(ぼくに言わせると、ツヨぽんは人見知りだなんてとんでもないけどね。今回だってタイ語を覚えるために飛行機のCAさんにまで発音を教わったり、一人で市場に買い物に行ったり、どんどん相手の胸に飛び込んで行くじゃないですか

三日目になって、初めて“ピーゲン”と呼びかけた子もいるに違いない(自分がそういう子だったから、ぼく/笑)

で、目立つ方の代表だったピーターくん。

二日目に彼の故郷にツヨぽんも一緒に行ったわけだけど。

“ふるさと”に帰った時のピーターくんの、11歳の子供とは思えない名状しがたい表情に、ぼくは言葉を失った。

育ての親の長老の隣で、はにかんだような、泣き出したいような、それは目の前にあるのか、遠くにあるのか、そばにいる人たち(ツヨぽんも含む)には決して見えない巨大な何かを見つめているような不思議な表情。

たった11歳の子供が、どうしてこんな「とてつもなく重たいものを背負った」目をするんだろう。

彼のそれまでの決して長くはない人生に降り掛かった、その長さには不釣り合いなほど過酷な運命。

たった11歳の子供にこんな「表情」をさせてしまうなんて(沈黙)

ずしんときた。



さて、もう一つ重大(?)なツヨぽんの問題発言。

「(卵を洗いながら)韓国もいいけど、タイもいいな」

こらこら(×_×)

「SMAPやめたら、タイに住もうかな(カメラ目線)」

またそ〜ゆ〜ことを言う〜!


←全然関係ないし



「世界に一つだけの花」にはさすがにこみあげるものがあったツヨぽんとぼく(←お前はどうでもいいんだよ)

話は行きつ戻りつしますが、行きの飛行機の中で会った日本国際ボランティアセンターの松岡さんが、

「“かわいそうな人”とか、そういう括りじゃなくて、“チェンマイの○○さん”とか、その人個人として見ることができる。そういう気持ちから、こういう活動って生まれるもんだと思うんです」

とおっしゃった言葉、まさにそのとおりだなと思った。

ツヨぽんも、行く前はきっと「タイの“かわいそうな子供たち”に会いに行くんだ」と思ってただろうけど、帰って来た今では、今日みたいにスマトラ沖でまた地震があった! というニュースを聞いた時に、漠然と「あ、現地の人たちかわいそう」と思うんじゃなく、「ピーターくんたち、大丈夫だろうか」って具合に顔が思い浮かぶだろう。

そしてそれは、この番組の(つまりはツヨぽんの)おかげで「希望の家」を知ることができたぼくたちにとっても同じ。

去年のスマトラ沖地震の時には、漠然と「大変だー」と思っていた人が、今回は「何かして、助けてあげたい」と思うようになったかもしれない。

それが、「草なぎ剛(に限らず、人気有名人)がタイの孤児院を訪れるという番組を放送する価値」なんですね(やっと冒頭の結論が出た)



金○先生の話みたいな説教臭い繰り言(暴言4)に最後まで付き合ってくださり、ありがとうございました。




←ちっちゃい時のツヨぽんの写真、可愛かった〜〜〜v


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