Kin-SMA放言
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そういや日劇PLEXでは全く花粉症が出なかったな。電車内とかではクシャミ連発洟水だらだらだったのに。やっぱちゃんとしたコヤは空気清浄が徹底しているとみえる。
てな感じで、締め切りが迫ってこないうちにとまた今日も遊びに行く(ホントにごろーのこと心配してんのか?)
『ファンタスティポ』(グローブ座)
これでぼくの『ティポ』はラストなので、思いっきりネタバレします。隠さないので、読みたくない方はこのまま他のページへお進みください。
結局三回しか観られなかったが、DVD化はほぼ確実なので、よしとしよう(まだ発表されてはいないが)
これまでと同じところで同じ感想を抱いたりもしたが、新しい発見もやはり多々あり。
ぼく自身の気分があまりすぐれないこともあり、前半のにぎやかさは多少しんどく感じる。初見のときは、そのムリヤリなPopさが好きだったんだけど。
何度見ても変わらないのは、ぼくが一番好きなキャラクターはトラジだということと、マシュウコの存在意義がいまいちご都合主義に思えること。偏見かもしれないが、薮内さん自身が、マシュウコというキャラクターに夢を見すぎている気がする。
映画にしても舞台作品にしても、監督(かつ脚本)が男だとよくあることなんだけど、ヒロインにすごい「女性へのどりぃむ」を感じて萎えることがよくある。
ぼくが女性キャラに対して厳しすぎるのかもしれないが。
大河内奈々子がそんな大したマドンナっぽくないと言ってるんじゃなく(むしろ、この映画の中の大河内奈々子はすごくイイ)、マシュウコの人物設定が甘いと感じてる。
トラジとハイジが母を亡くしており、それが彼らの人生にものすごい大きな影響を与えてるのに、同じく母親がいないマシュウコには、その背景も彼女自身の「母親不在の寂寞感」も、一切描かれていない。ぼくはすごくそこが気になった。
母親がいないことで大きな影響を受けるのはオトコノコだけみたいな偏見を感じるのだ。というか、多分薮内さんはそこまで人物設定しないでマシュウコを出してるんだと思う。
ハイジから見たマシュウコ。そのイメージだけで彼女は出来ている。幻のようなキャラなのだ。
ぼくもごちゃごちゃ考えずに、マシュウコは松本零士のマンガに出てくるスレンダー美女みたいに(代表:メーテル)、完全に「主人公の母親の幻影=永遠の恋人」的キャラであると割り切って観れば、何のストレスもなく彼女の全ての言動が腑に落ちるのにな、と今書いてて初めて気がついた。
そうだ、マシュウコはメーテルなんだと思ったら、何もかも納得できた(←また自分ひとりで納得してる〜)
で、メーテルにはものすごい存在の母親がいたんだったよな(話が、話がそれてるぞ〜/汗)
・・・あああいかん、ハイジがどうしても鉄郎に見えてきた(×_×;)←何をやっとる
やっぱハーロックはキムキム兄さんかな・・・(だから、戻ってこ──い!)
こほ。
最初に観たときと感覚が違った点は、金太郎にとってのトラジとハイジの存在感の違い。
初見のときは、ぼくはトラジがないがしろにされてる感じがした。
ないがしろっていうか、問題のある(それはとりもなおさず「気にかかる存在」ということだ)次男の方にばっかり目が行ってて、御しやすい「いい子」の長男に対して、金太郎は油断しすぎていたんじゃないか(金太郎が「トラジを見習え」と言うシーンでの、トラジの反応がぼくは好き)、だからトラジがノイローゼになっちゃったんじゃないか、と、ぼく自身長子だから、そういう目線で観てた。
でも、今回観た感じでは、金太郎はトラジもハイジも平等に愛してるな、ということが理解できた。
ハイジがいなくなった時に、金太郎はどうしてそばにいるトラジに目を向けないのだろう? とぼくは思ってたんだけど、それは長子的ひがみ根性だったと思う。トラジは、そういう時こそ自分を見てほしいなんて思うような子ではなく、親と同じ目線で弟のことを心配する子なのだ(これは最初から提示されていた設定で、ぼく自身そういうトラジの性格が好きだ、と初見のときに書いています)
片っぽがいるから片っぽを諦められるなんてことはありえない。
お子さんが二人以上いる方には自明の理だったであろうことに、ぼくが今さら気づいたのは、やっぱごろーが入院中だからかもしれない。
うちのもう一匹の愛猫“つちのこ”は、今、超ノンキにぼくの目の前で寝てますが、こいつがいればごろーがいなくても寂しくない、なんて全く思わないし、多分逆でもそうだろう。
だが、こいつがノンキな顔してるおかげで、慰めになっているのも事実だ。
でも、ちょっとは寂しそうにしろよ(無理難題)
閑話休題。
一貫して好きなシーン。
「マミー牧場」に行く直前、深夜のアルマジロ社でトラジとハイジが話すシーン。
一人掛けのソファにむりやり二人で座って異常にくっついてる時点でむちゃくちゃ可笑しいし(^^ゞ
「そういえば、ノイローゼは治った? 世間知らずのおぼっちゃまは。何かこう『目が見えない〜!』ってすごい叫んでたね。見えてたと思うけど」
という、字面上は非常に冷酷なセリフで“ハイジの優しさ”を表現してるキッチュな場面。ここが一番好き。
ハイジの口癖(「知ってる」とか、「○○(←相手の言葉のオウム返し)なんだなぁ〜と思った」とか)には、ぼくは実はいらだちを感じてる(実際こういうヤツが目の前にいたら、もっすご嫌いだと思う)んだけど、薮内さんがそういうハイジを肯定的に描いているのが面白いと思うし、ここのセリフはハイジの人間としての清冽さが出てて好きです。
「マミー牧場」へ向かうシーンは、デビッド・リンチを連想した人が多いらしいけど、ぼくはリンチ、あんまり観てないんだよね(『エレファントマン』ぐらい。『ツイン・ピークス』すら観てない)。ぜんぜん絵面は違うんだけど、ぼくが連想したのは『エデンの東』で、キャルがアーロンをムリヤリおっかさんのところ(淫売宿)へ連れて行くシーン。
設定は全然違いますけどね。ただ、あのシーンは、(『エデンの東』では)双子の兄弟が一緒に母親の胎内へ回帰して行くみたいな雰囲気があって、母親に会いたいような会いたくないようなアーロンの“おびえ”が、まるで、この世に生まれ出ることへの恐怖感(だから赤ん坊は生まれる瞬間に泣き叫ぶのだとかなんとかいう解説がついてたような)に同期して、えもいわれぬ官能を醸し出していたような。その雰囲気が似てた。
そして、なんつっても、グラスを置いて立ち上がる時のハイジの一連の動きは、例えようもなく色っぽいですがね(×▼×;)今思い出しても、とろける(←や、やばい。意味が違ってきた/汗)
ここ、こないだまではスローモーションだったように記憶していたのだが、今日観たらそうじゃなかった。そんぐらいつよっさんの動きに“力”があったんだろうな。印象を刻み込む力が。
とまぁ、この他にもたくさん好きなシーンはあるんだけど、薮内さんがなんらコメントをしていない(つまり、意味があるのかないのか分からない)という点でひっかかっているのが、ストーリーが終わった最後のスタジオの場面で、トラジに笑いかけられたハイジが笑い返す表情。
これが微妙でなおかつ大変愛らしくたまらんのよねー。思わず「つよっさん、好き!」と言ってしまいそうになるぎこちない笑顔なのである。
こういう、一筋縄でいかないカットがザラメみたいに降ってくる映画なわけだ『ファンタスティポ』は(←だんだん意味不明化)
しかも、普通に可愛いカットもてんこもりだし(T△T)←泣くな!(叱)
早くDVDになって、ぼくの手元においで。トラジ☆ハイジ(←勝手に私物化)
おお、そういえばグローブ座でも花粉症がピタッと止まってた。感心感心(青山劇場は一体なんだったんだ? しっかりしろ。つうか、舞台で役者が暴れてるから仕方なかったのかな?)
『ダンシング★ナイト in グローブ座』も、マイ・ラストナイト。歌詞を全て「ニャニャニャ♪」で唄ってしまうダンサーさんにラブv(笑)
ぼくの前の席は高校生カップル(制服で来てたけど、大丈夫か?/笑)。ぎこちなく踊るカレシと慣れた感じのカノジョの取り合わせが微笑ましかった。最後まで左右逆に覚えてたけど(笑)
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