Kin-SMA放言
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2004年08月30日(月) そうさ降り続く雨などないのさ

懐かしいフレーズ(「Diamondハリケーン」)で始めてみました(^^)

なんてノンキなもんじゃないなこの台風(>_<;)こわいっ(汗)

関東地方も、いよいよ暴風雨圏内に入ってきたようだ。気をつけなきゃ。

で、「Diamondハリケーン」と言えば当然光GENJI。

ぼくが光GENJIと言えば、当然あつくん。

31歳おめでとう、あつくん(*^^*)

充実している30代を驀進中のあつくんに、心からお喜びを申し上げます。

ぼくも今年は例年以上に(4公演;『LYNX』は行けなかった(;;))あつくんに逢えて幸せです。

しかも今年は、ぼくのタダレの原点である「あかさかあつひろ」セットの作品が二つもあるのがもー(>_<。)ショタ冥利

思わず「ガラスの十代」唄わせていただきます!ヾ(−−;)唄うな

そんな(?)あつくんも、順風満帆にここまで来たわけでないことは、みなさまも御存じのごとく(芸名をコロコロ変えたのも、迷っていた証拠)

光GENJI解散後は、残された4人(解散時、既に5人。そしてモロはすぐに事務所出ちゃったから←“出された”って説もあるが/オット)が「コレ」というものがなくウロウロしていたのが本当に心もとなかった。

何となく「芸能活動を続ける」=「ドラマに出る」か「ライブをやる」みたいな感じ、特に強く音楽をやりたいわけでもなさそうなのに、コンサートやってみたりCD出してみたりしてる姿を見て、正直痛かった(行ったけどね、ライブ)

ドラマも見たよ(_ _ )

大場久美子とベッドシーン(『砂の城』←何と昼メロ枠)をやっちゃった時にはもうおしまいかと思った(こ、こら!)

エンゲキとあつくんを出逢わせてくれた神様(もしかしてそれってジャ○ー? い、いやだ・・・←何?!)に感謝。

あつくんが唄を辞めるきっかけになってくれたつよっさんにも感謝(≧∇≦)皮肉じゃないよ

「誰かさん」の詞は、果たしてどこまであつくんの原詞が生きているのか疑問だが、そういう意外なとこで出会えるのもいと嬉し。


←タダレではなく(^^ゞ






あつくんが何の悩みもなくするりと「舞台俳優」になれたはずはない。

第一、現在でも彼は“アイドルの殿堂”ジャニーズ事務所所属の芸能人。

芝居を一緒に創り上げる戦友たち(小劇場界の役者や創り手たち)は優しかったかもしれないが(一部は意地悪だったかもしれないが/笑)、そもそも観客が、

「所詮元アイドルでしょ」「事務所の力でしょ」

という視線を最初はいっぱい注いだはず。

演劇はライブと違って、その人のファンだけが来るわけじゃないからね。

正直、あつくんの小劇場進出初作品『ララバイまたは百年の子守唄』は、ぼくも観てて、

「マスコット扱いじゃん」

と少し萎えた。

出世作『犬夜叉』は、再演でやっと観ることができたが、ここでやっとあつくんがあつくんらしく立っていられる場所を見つけたな、と心から嬉しかった。

あつくんの個性が犬夜叉のキャラクターにぴったり合ったこと、そして鬼才いのうえひでのりさんとの出逢いも大きかった。

アニメキャラと言えば、そもそも光GENJIというアイドルグループ自体が、そういうコンセプトだった(とぼくは思っていた。だからこそいい年してハマったのだ。普通に「カワイイ」と思って好きになったわけじゃない)

光GENJIは、別に「カワイイ男の子を集めた」アイドルグループではなかった。構成員のルックスレベルは、正直言って高いとは言えなかった(でもあつくんは信じられないほど可愛かったのよ♪←これだ/呆)

いきなりローラースケートを履いて出現したことからもわかるように、グループの存在そのものがイロモノであった。彼らは出発点から“生身の等身大の少年”であることを封じられていたのだ。

そして、音程不自由な声変わり直後の声にはもったいなさすぎるプロデュース by チャゲ&飛鳥のファーストアルバム『光GENJI』のコンセプトは、明らかに「ゲームの世界のキャラ」だった。

で、それが7年も続いたこと(だんだんスピードは衰えて行ってはいたわけなんだけど)の方が、ぼくには仰天だった。

ジャ○ーの当初の目論み以上に長持ちしてしまったのが、光GENJIの最大の不幸だったのだ。

でも「7」は、光GENJIに常にまとわりつく魔法の数字なので、結成7年で大沢寛之が抜け、“光GENJIじゃなくなった”(Super5はぼくの中では光GENJIじゃない)時には、「もしかして、ここまでジャ○ーの計算?!」と当時は買いかぶった見方もしたものだ。

いずれにしても、彼らメンバーが、ローラースケートを脱いで現実社会に「元アイドルの普通の男」として降り立った時、お先真っ暗とまでは言わないが、途方に暮れていたのも事実だ。

それぞれに、それなりのものを見つける旅が始まったのだ。



と、浸っているうちに、風が止んできた。“目”に入ったのかな?

ほんま光GENJIって、特にアイドルまっただ中の頃は、意味が空虚なただ元気なだけの童謡みたいな唄ばっか唄ってたよなー(例によって猛毒)なんて記憶してたのだが、今こうして改めて聴いてると(聴いてたんかい!)、意外と人生の真実を唄ってたりする。

「そうさ降り続く雨などないのさ」

いい詞だ(T_T)←すぐこれだ



ぼくがあつくんの虜になったのは、「STAR LIGHT」のPVで思いっきり眼力(めぢから)のあるアップを見せられてからなのだが、そのあつくん目当てでアイドル雑誌を買い続けていたおかげで、“W堂本”時代からKinKiくんたちに眼を付けることができた。

まんまとジャ○ーの戦法に嵌められた典型的なカモなわけだが(^^ゞ

あれ(あつくんにハマって)から17年も経つのか、そうか。



というわけで(どういうわけだ?)、今日は佐藤敦啓(やっぱこの字がしっくりくる)さんの誕生日を記念して、昨年思い切り書けなかった分、今年はつらつらと思いの丈を書いてみました。

興味外の方、すみませんでした。

そして実は、今日の日記は、ジャニーズ事務所内で“闘う”とはどういうことか、というのをある人(←わざとらしい)に知ってほしくて書いたってのもある。

こんなマイナータダレ日記が彼の眼に届くわけはないのだが、彼の近しい位置にあつくんがいる、そのことがぼくの希望の光。

では、おやすみなさい。


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