Kin-SMA放言
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2004年03月13日(土) |
SHOW MUST GO ON! |
(只今3月14日午後6時。『ザ少年倶楽部』が始まりました)
またゆーいちろートートの誘惑に負けてしまったわけではないのです。
書きたいことが多すぎて、どう整理すればいいか考えているうちに、眠気の誘惑に負けてしまったのです(大バカ)
本日の表題は、きんきっずらばーにはあまりにもおなじみの文言だけど、ぼくがこの言葉を最初に聞いたのは、確か三谷幸喜氏の芝居のタイトル『ショウ・マスト・ゴー・オン』だったと記憶している(次に聞いたのが、ミュージカル『キスミーケイト』の中で、借金取りにくるギャングが言うセリフ「ショーを続けろ」←そのまんまやがな)
東京サンシャインボーイズが活動休止に入るか入らないかぐらいの時期に観たから、初演ではなかったと思うが、その内容の“あまりにも”な面白さにはまってしまった記憶がある。
この言葉は、もともと舞台人の間では金科玉条みたいな合い言葉になっていて、意味は皆さん御存知のとおり、
「一度幕が開いた舞台は、何があっても進行させ続けなければならない」
という意味。
だけど三谷氏のその芝居は、そういう鉄則に縛り付けられて、善処しようとすればするほどドツボにはまって行くカンパニーの姿を描いていて、腹が激痛になるくらい笑わせられた後で、なにかふかーく考えさせられたりもした(←本当は、この「深く考えさせられる」ってのは三谷氏の本意ではないらしい。ひたすら笑ってほしいだけ、と彼は言っているが、本当は、どうかなー? ふふ)
やればやるほど深みにはまって、実際「一旦幕を下ろして客に謝ってしまう」方が実は良かった、っていうこともある。
でも、舞台人は、ガンコにそれをしようとしない人がほとんどである。
転がり続けることに、なぜそこまで執着するのか。
止まっちゃうと死ぬとでも言うのか。
サメか、お前は。
・・・ぼくの文も、なんか、どんどんやばい方へ転がって行ってしまっているような気が、しないでも、ない。(いや、明らかに、そうだ)
ショウ・マスト・ゴー・オン。
これは、一般人の生活の中でだって、いくらでも経験する“後悔と意地”のせめぎ合いなのだ。
今のぼくが、まさにそうだ(おい、もう謝っちゃえよ)
・・・続ける(←100%勇気)
つまりこの言葉に含まれる、
「ひっこみがつかなくなってしまう」
みたいなニュアンスも件の芝居には入っていて、ぼくは好きなのだ(シニカル目線)
詳しく書くのはよしますが、ここんとこぼくの生活の中で、「善処しようとすればするほどドツボにはまって行く」事態がちょっとあったので、ふと、この言葉とこの芝居のことを思い出してしまったのだった。
言ってみれば、「自転車に乗ってて、急にタイヤがすべって、ブレーキをかければいいのに、ハンドルさばきで対処しようとして、結局すっころんだ」みたいなことが(←こういうことがあったわけではない。いくら何でも、そこまでベタではない)
だが一方でこの言葉は、舞台を人生に例えているという説もある。
すなわち、一般人にとっても、
「人間は、死ぬまで生き続けなきゃならない」(えっと、説明しづらいけど、決してギャグではありません)
という意味で。
途中で止まることはできないのだ。
だがどうだろう、「立ち止まる=生きるのをやめること」とも言えないのでは(と、自分への言い訳)
そんな中、一般人ではない、本物の舞台人である堂本光一さんが、久々にJ-Webにてメッセージをアップ。
『SHOCK』が終わってほっとしたのもつかの間、ソロコンサートへ向けて、ますます忙しい毎日を過ごしている、との近況報告である。
サメか、お前☆☆☆\(`へ′)
すいません、すいません(−−;)
へぇ、こらもう、更新していただいただけで、あっしらは、へぇ、お代官様(←誰なんだ?)
それもそうだが、初日まで2週間強だというのに、リハーサルに入ってない、ということに、なんら恐ろしさを感じないのだろうか関係者は、という方が正直びっくりなのである(毒ですね、最近ほんとに毒ですね)つうか、ぼくが光一さんに「あまりに多くを求めすぎるよ〜♪」(c フランツヨーゼフ)なのだろうか?
多分、どうにかやってしまえる人だから、なおさら怖い(←褒めてるんじゃありませんよ)。周囲が、それで安心しちゃうのが、怖い。
(いよいよ今日の本題に入るが)『怒濤の人生スペシャル 女優森光子83歳』を観て、サメのように生きている光一さんに、老婆心ながらちょっと不安を感じたことを告白いたします。
と言ってもね、若いうちはサメでいいんじゃないか、っていう気もすんのよね。また、そうじゃなきゃいけない。一度サメみたいに泳いだ人じゃなければ、大海原をゆったりと泳ぐことの価値も、将来実感することができないのかもな、と。
「若い時の苦労は、買ってでもしろ」
と言うしね(*^^*)
さて、83歳森みっちゃん。ヒガシが言わなくても、日本を代表する大女優でございます。
ぼくの世代だと、やっぱ『時間ですよ』のおかみさんのイメージが一番強く、気づいた時には『放浪記』は、よほどがんばんないとチケットが手に入らないプレミアステージになった後でした。
だから、未だ観てない、もとい、観られてないのよね。
ジャニファン目線で見れば、彼女がかほどにジャニタレ君たちの“姫”として君臨する様は、疑問に満ちているかうざったいかのどちらかなんだろうけれども、逆の立場(決してぼくの意見ではありません)から見れば、ジャリ×レ集団が、押しも押されもせぬ大女優の威光にすりすりしている○○(←あまりにも悪い言葉なので、出しません)な図に見える、ということをまず言っときます。
つまり、立場が違えば、見方は全く逆になる訳です。
ぼくは比較的ジャニファン目線に近い立場ですが、女優・森光子をリスペクトするにやぶさかではありませんので、この番組の構成は正直言って痛し痒しでした。
もっと、ちゃんとしたドキュメンタリー about 森光子が観たかったという気もします。
ただ、持ち上げるだけじゃないヤツをね。(←正直者)
特に、ヒガシがみっちゃんを賛美する時に使った「女性として優れる=女優」という言葉には、正直サムいものを感じました。
もっと・・・演技者としての、同業者としてのリスペクトを捧げられないもんだろうか?
「恋人以上、夫婦未満」というおなじみのフレーズは、ヒガシの方(つうかジャニーズサイド?)から言い出したらしいことを、この番組で初めて知ったが、そういう“作為的なオチャメ”には、ぼくは敏感に反応してしまう方なので、余計そう思うのかもしれない。
ジャニーズの子たちが、森光子の舞台人としての優れた生き方に敬意を抱くことは、実に歓迎されるべきことだし、さらに、もっと触発されて呵るべきだとぼくは思ってる。
ぼくらのような一般人ならともかく、仮にも「芸能界」という同じフィールドで、ある意味同線上にいる彼らが、彼女の見た目の若さや、上演回数記録、という単なる数字上の快挙のみを賛美するかのごとき作りは、いささかムズムズものだった。
でもそれは彼ら自身だけの罪ではなく、両者の“地位”を利用したに過ぎない番組スタッフの姿勢にその原因があるのかとも思うが。
ジャニーズの子たちをたくさん映すことで、視聴率とれるのは自明の理だから、テレビ番組である以上、それは責められない。
NHKだったらこの点、もっと骨太に&ラジカルに作ってくれたかもしれない(でも今度はきっとなかむら屋が出てくるだろうな/爆)
一つだけ具体的に言いますと、ナレーション多すぎ(苦笑)すごくうるさく感じた
もっと、淡々と回したVTRを流すシーンの多い作りにしていただきたかった。
ぼくがそういうドキュメンタリーが好きなせいもありますが。
あー、でも、こないだの『放浪記』(芸術座)は、ムリしてでも何とかして観れば良かった。
みっちゃんもそうですけど、徹子女史の舞台も、最近あんまり観てないので。
それに、いつ“最後の舞台”になるか、わか(以下さすがに略)
わたくし、尾上梅幸丈の最後の舞台を爆睡してしまった痛恨の記憶がございますので。
で、ここまで敵を作っといてナンなんですが、
ジャニメンがみっちゃんに贈ったメッセージカード
趣き深かったでございます(^^)
モロ個性出まくりでね(つよっさんのが最強でした/笑)
でも、ぼくが目を付けたのはソコではなく、まっちとヒガシ以外には、SMAPとKinKiとヒデちゃんが、こういうときには選ばれるんだなぁ、ということ。KinKiって「SMAPの次」なんだね。
ディープにきんきっずらばーだとわかんないんですが、KinKiの需要度(?)がわかって、変な感動がありました。
うーん、今観返してても、ナレーションうざいな(爆)
ヒガシの声がうざいとかじゃなく、「そういうことまで説明しなくてもいいの! 静かに観させて!」っていうウザさ。
やっぱ、作り手がジャニーズ人気におもねり過ぎ。
メッセージカード以外で出演したのは、ヒガシは当然として、
まっち、マボ、あつくん、光一さん、ヒデちゃん
という面々。
博多座の楽屋の廊下で待ってるヒガシと光ちゃんとヒデちゃんの図。
1人だけ、芸能人オーラのない人がいるんですが(≧∇≦)←刺されてぇか、テメェ
街を歩いてても気づかれないのも、むべなるかな(^^ゞ
終演後の拉致(コラ)の際も、いちいち「光一ですv」と宣言してからみっちゃんの手を取る律儀な光一さん(笑)
カワイらしくてたまりません。
「よく(スケジュールが)空きましたね、お三人で」
とみっちゃんも感心していましたが、そりゃあ若殿ヒガシのご命令に逆らえるジャニメン(目上のまっちとニシキ除く)がいるわけがございません。
楽屋での光一さんの正座の仕方が、男らしくて満足でございました。
粋自慢(?)をしてしまいました。いやらしくてスイマセン(^^ゞ
まとめ。
偉業にケチをつける気はさらさらないが、『放浪記』もある種「ショウ・マスト・ゴー・オン」でやってきた芝居である。
この先いつまでやるんだろう? というのは、誰よりもみっちゃん本人が一番先に思っただろうし、常に考えながらやっているんだろうなと思う。
それに対して「でんぐり返しが出来なくなるまで」というオチャメは、むしろぼくは大好きな答えである。
それがゆえにあのストイックな生活ぶりがあるわけだから。
ぜひ、そんな辺りの「ゴー・オン」ぶりを、ジャニメンたちには見習ってほしい。
うわ、ぼくヒガシよりうざいな言ってることが(それより、いくら休憩しながらとはいえ、これだけ書くのに6時間かかってるってのはまずいんじゃないいくらなんでも)
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