Kin-SMA放言
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2003年01月17日(金) やっぱり君だったのか!(≧∇≦)/☆☆

おととい書いた話だけど、山○楽器に100本は入荷した『SHOCK完全版』完売の犯人は、もりん氏だったそうだよ。←昨日の「どんなもんヤ!」で自白(笑)。「ほとんど買い占めた」そうです。
いや、さすがだよ。そうこなくちゃ。それでこそ相方独占欲まるだしのアンタだよ(しかし、9300円×100で・・・!!!)。
で、テープがすり切れるまで見ちゃってるわけだ(たしかDVDプレーヤーを持っていないと言っていた)、♪ユ〜ア〜マイラッキースター〜〜♪と、いっしょになって唄ってるわけだ(邪推)、今日も昨日もおとといも!(なんでぼくがヤケになるんかね?)

はあ〜あ、ごちそうさま。

と、のっけからハイテンションで申し訳ないんだけども、やっぱり今日のメインは、この話題にしたいと思うよ。

阪神・淡路大震災。まずは黙祷。

でもさすがにぼくらしく、話はきんきっずがらみなんだよ。

暮れのリーダーのラジオ(TOKIO CLUB)にもりんが出たじゃん? その時、「あのころ“当事者”としてインタビューされるのがうしろめたかった」みたいなことをもりんが言ってたんだよ。当時は既に東京に住んでいたから、関西の出身(それも、あまり被害のなかった奈良だし)だからって、被害者の代表みたいな意見を求められるのが、本当の当事者たちに対して済まないと。
もりんらしいなぁ(なんでこういつも「ひいちゃう」んだろうねこの子は)と思うんだけど、あの日、彼は何だって?! 高校受験の面接日だったんだって?! そ、そんな大切な日に、奈良にいるお姉ちゃんの安否が分からなかった状態(お母さんは上京してもりんといっしょにいたそうな)だったんなら、立派に! 立派に「当事者」だよ!(←今頃知った「ファン・失格」なぼく・・・つうか、まんまタケルじゃん!)

ぼくはそのころ、ちょうど宝塚(歌劇団じゃなく市だよ)在住の人と仕事をしてるときだったので、当日出社してから電話をかけたけど当然通じず。でも、もっと切実に連絡を取りたい人たちがいるだろうからと、リダイヤルを遠慮するのが、せいぜいぼくにできたことで(でも後になって宝塚もすごい被害だったと知って、ぞっとした←ジェンヌ達が被災者ルックで避難している姿を新聞で見て、実はそれが一番かなしかった。どこまでもミーハーなぼく)。
あと、会ったこともない親戚が甲子園にいたんだけど、会ったこともないだけに、実感のわかない心配をぼんやりとしていただけだった。

程度の差こそあれ、誰もが「当事者」だったんじゃないかなぁ。
そして、日本中のみんなが「自分も当事者だったんだ」と思わなきゃ、また何かが起こったときに(起こって欲しくないけど)、すばやく反応できないんじゃないかと思うんだ。

もりんの考えって、確かにやさしさからきてるんだなと思うけど、「関西の人間として一言」とマイク向けてくる人を「無神経なやつじゃ、ボケ」と思わないで欲しい。イヤだろうけど、“震災を知らない世代”や“既に無関心になってしまった人間”の中には、「つよし君の話なら、聞く」という子たちがいるかも知れないんだから、彼らに向けて発信する役割と資格がキミにはあるんだからさ。
もちろんJ-FRIENDSやってた時点で、そんなこと分かってたろうけど。

あー、どうして中年はいつも説教臭くなってしまうんだろ(しかも、こんなくされ日記をもりんが読むはずもなし・・・)。

ほんと肩身が狭いけど、ぼくみたいな人種(自分の親戚よりもタカラジェンヌやもっちもりんの家族の方を心配するような)は確実にいて、それはなぜかっちゅうと、彼ら彼女らからいつも精神的に支えてもらってるからなんだよ。肉親や友達とは別の種類の支えなんだけど、これも絶対必要なんだよ。
だから、何かあると娯楽禁止的雰囲気が蔓延して、「歌や踊りを見て腹がふくれるか!」「寒さがしのげるか!」みたいな状況になると、ごもっともなだけに、反論できないだけに、悔しいんだよなぁ。
でもさ、パンをめぐんでもらっても、それは食べちゃったら終わりなんだよ(今度は宗教臭くなってきたゾ・・・)。
元気やときめきをもらったら、それはいつまでもなくならないどころか、どんどん増えてゆくんだよ。

とりとめもなくなっちゃったなー。




だってこのビデオCD雑誌の山、山、山・・・

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