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1984年06月27日(水)

31 名前: SV 投稿日: 2000/07/07(金) 21:20

ちなみに道場に通っていてコミュニケーションが楽しければいいのでしょうか?
私は「スピリチュアルボランティア」の精神とはかけ離れてる気がいたします。
そういう楽しんでやっていらっしゃる方は「自分が楽しければいい」というような
人達のような気がしてなりません。そういう人達に限って困ったときや辛いときだけ
都合良く神様に、そして手かざしにすがっている気が私はします。
また霊障、神様からの戒告、浮霊そういったものが恐いからとか、
幸せになりたいからとか、身体を楽にしたいからとか、
少しでも霊層をあげ来世で楽になりたいから等・・・
こういった理由で道場に来ている方が非常に多い気がします。
本当に世界を良くしようとして頑張っている人を見たことがない。
奉仕活動と言っても、草むしり・・・
活動と言っても、他の方面と親睦を深めるためということで
遠足や、合宿、・・・
他の方面の御祭りへの参加・・・
会議も週に何度も開かれ、趣旨のよく分からないまま非効率的に
行われる・・・
少し疑問に思って幹部の方に尋ねてみたら「集まることに意義がある」という返事・・・

このような奉仕活動をのんびりやっていてもちっとも世界は平和にならないと思うんです。
みんなは幸せにならないと思うんです。
この奉仕は人を幸せにしたいという神様への奉仕というよりもむしろ
真光文明教団への奉仕のような気がしてならないのです・・・
確かに10歳の頃から私をここまで育ててくれた教団への奉仕の精神は大事にしたいと思っています。
教団への奉仕はイコール神様への奉仕へとつながると最近まで全く疑問も抱かずに思っていたのですが・・・


しかし、周りの人がこれでは・・・
確かに我々は楽しいですが、アフリカで困ってる子供達、餓えや貧困で苦しんでいる人々を
救うことをやっているように思えないんです。私の行く道場にはよくお菓子があるんですが、
このお菓子を買うお金を上記の子供達にどうして寄付しようとは思わないのかと思うといつも悲しくなるのです・・・
手かざしだけで人は救えない。餓死直前の子供に手かざしで魂霊をきれいにしようと行っても
子供は死ぬでしょう。まず、その子に必要なのは手かざしではなく食事なのです。
我々が手かざしを行い、会議、遠足、合宿、月始祭に行っている間も
アフリカの子供達はバタバタと死んでいるのです。





32 名前: SV 投稿日: 2000/07/07(金) 21:20

ウチから主座までは結構遠く、新幹線等を使い、月始祭に
一回行くと大体往復10000円くらいかかります。
このお金を私自身の一ヶ月の濁毒を浄化するために使うくらいなら
最近はユニセフに寄付した方がよっぽど神様も喜んでくれるのではないかと思い始めております。
そもそも自分が一ヶ月間で汚した魂霊の濁毒を神様、そして教え主様に手かざしにより
きれいにしてもらおうと思っていた自分自身の今までの気持ちが甘かった気がします。

SSさん、改めてどう思いますか?そして他の真光皆さん、どう思いますか?
私は間違っているのでしょうか・・・



33 名前: 私 投稿日: 2000/07/07(金) 21:42

神と教え主様と信者の関係は、カトリックの神と神父と信者との関係と似ているところがありますね。つまり神と信者との間に介在して、双方の意志を伝えるのが、教え主様であり神父なのでしょう。
 しかし教え主様はひとりだし、御神意によって選ばれた、というのは三位一体のイエスのようでもあります。
 教えを伝える人と救う人(神や仏)が同じでは問題です。なぜならその人がすべてを決めるわけですから。多くの新興宗教では救い主であり教え主である教祖が絶対的な力を持ちます。信者は教祖の言うとおりにしなければなりません。教祖がお前は駄目だと言えば、もう救われないからです。救われないとなれば、何としても言うとおりにするしかありません。
 オウムの麻原と信者の関係を考えてもらえば理解していただけるでしょうです。
真光がそうだとは言いませんが、他のスレッドを読めば、どの新興宗教にもそうした傾向が大なり小なりあることが窺えます。
 内紛があるにもかかわらず、きれいごとを言ったり、お互いが相手を邪教とののしって、あんなことを信じていたら地獄に堕ちるなどと言い合ったり。しかし信者はそれを言われるとおり信じなくてはならないのです。
 またまたいちゃもんをつけたので、私の質問には答えたくないでしょうね。ごめんなさい。とあやまりながら、これからもくどくど言いそうです。もしうるさいと思うのなら、そう言って下さい。それならもうこのスレッドには書きません。




34 名前: 私 投稿日: 2000/07/07(金) 21:58

ごめんなさいと言いながら、SVさんの真摯な言葉に接して、いらぬことを書きたくなりました。
確かに私も苦しむ人が大勢いるのを知っていながら何もしない自分に罪を感じます。何もしないのではなく、したくないのが本当なのでしょう。
飢えに苦しむアフリカの子供の所まで行かなくても、自分の身の回りでできること、すべきことは沢山あるのですが、したいことだけを選んで、したくないことは言い訳やごまかしを無意識にして何もしない。
これが私です。
しかし寄付をしたからといって、ティッシュで海の水を拭き取るようなものだと、ある本に書いてありましたが、確かにゴミを増やすだけかもしれません。
海外援助がいかに無駄づかいにおわっているかはご存じでしょう。ではなにができるか。
単なる言い訳かもしれませんが、いまSVさんが持っている罪の意識を抱えながら生きていくことだと思います。その中で自分の歩む道を見出していけるように思います。
ただし宗教団体に寄付するのは無駄に終わることの方がほとんどだと思います。たとえば統一教会では、統一教会の名を出さずにアフリカの難民のためになどと言って寄付を集めるわけですが、そのお金は難民のために使われないのはもちろんです。寄付を集める信者もそのことを知っています。信者は正しいことのためにつく嘘はいいことなのだ、と思いこまされているのです。霊感商法でもそうですね。サギをしても、それでもうけたお金は正しいことのために使われるから、罪にはならないと洗脳されているわけです。
とまた長々といらぬお節介。再びごめんなさい。



35 名前: SV 投稿日: 2000/07/07(金) 21:58

>私さん
是非これからもいろいろよろしくお願いいたします。
今の私には貴方の考え方が胸に響きます。
今までも似たようなことを事あるごとに外部の方から言われてきました。
友達、恋人等・・・
みんな私のことを思ってくれていたのかもしれませんね。
今非常にそう思います・・・

ですがダメなのです。どうしても離れられない・・・
私も霊障が恐い。自分も奇跡の体験もしています。
自分自身も手かざしによって救われた者の一人です。
真光には恩があるんです・・・
真光のことを悪く言われるとここまで自分で分かっておきながら腹が立つんです・・・
さらに親、親戚・・・皆が真光の組み手です・・・
私がもし何かのきっかけで辞めることになった場合、彼らの気持ちは・・・・
もう分からなくなりました。
私はどうすればいいですか?



36 名前: 私 投稿日: 2000/07/07(金) 22:34

あなたが真光を出るということは家族を捨てることになります。あなたにとって信仰の仲間は家族でしょう。そしてあなたの家庭はすごく仲がいいように感じられます(私の家なんか悲惨なものです)。
真光をやめれば、おそらくあなたは新しい家族を求めて別の新興宗教に入る可能性が強いでしょう。そしてそこにも失望してさまようことになるでしょう。
オウムのことを書いた本を読みますと、そんな人が多いですね。
ですから私には真光の信仰を捨てろなどとはとても言えません。とりあえずは視野を広くしていろんな勉強をすることではないでしょうか。その中で自分の道を選んでいく。
オウムのことで思い出したのですが、オウムの信者の中には他者に依存する人が多い。指示され、それに忠実に従うことにより安心する。自分の意志を持とうとしない。
自分では気づかないのですが、そんな人は結構います。私だって知らぬ間にいろんな洗脳をされていると思いますよ。
本当の宗教とは独立者として自立できるようになる教えだと思います。そんな宗教を探し求められたらどうですか。いろんな本を読んで求めて下さい。くどいようですが新興宗教といわれるものは最初からやめといた方が無難でしょう。
霊については、私なりに考えていることがありますが、長くなるのでまた今度。ただ霊障が恐い、というのは問題です。霊を説く宗教は真面目にやっていてもインチキと紙一重。霊の問題から自由になれることが日本人にとっては救いだといえるかもしれません。



37 名前: SV 投稿日: 2000/07/07(金) 23:15

大分最初の趣旨と離れてしまいました。
これを見ている他の組み手の方からはもう私は軽蔑され、
相手にされないのかもしれませんね。
それはそれで構いません。が、私は事実を知りたい。
自分の所属しているところの真実が知りたい。
教団の上層部が意図的に隠しているものを見てみたい。
また他の方面がどんな風に活動しているのかも見てみたい。

>オウムの信者の中には他者に依存する人が多い。指示され、それに忠実に従うことにより安心する。自分の意志を持とうとしない。

あ、これ私もよく言われます。凄くこれを言われると嫌な気がしてるんです。そうなんですか・・・
直そうといつも努力してるんですが、いつもうまくいかないのは私の真光への思いがそれを邪魔してるんですか。なるほどと納得いたしました。
やはりちょっと考えてみる価値はありそうです。
ありがとうございます。



38 名前: 私 投稿日: 2000/07/08(土) 10:39

 昔の人は、死んだら霊になる、霊は祟ったり迷ったりして、生者に災いをもたらす、と信じていました。だからよくないことがあると、それは霊のせいだと考えました。
 そこで霊を神としてまつり、慰め鎮めようとしたり、霊よりも強力なものとして仏を求めました。しかし今度は神や仏を恐れるのだから同じことです。
 現代に生きる我々もそうした霊に対する恐れが血となり肉となっており、「よくないこと→霊魂のせい」という刷り込みがなされています。もっともその刷り込みは強い人と弱い人がいます。刷り込みの強い人は何でもないことでも霊のせいにしては一喜一憂しますが、弱い人は気にしません。これは理屈ではないから、いくら霊魂のせいではないと説明しても納得はしないのです。SVさんと霊障のあるなしを話し合っても水掛け論に終わることでしょう。
 私は霊の障りや祟りなど気にしない方が楽に生きていけると思います。楽と言っても、よくないことを霊など他者のせいにせず、自らの責任で引き受けることになるわけだからしんどいことではあります。私はそんな責任感はないから、よくないことがあれば妻のせいにします。
 宗教は本当の安心を与えるものでしょう。霊の恐さを説き、「よくないこと→霊魂のせい」という刷り込みを強める宗教では、不安がつきまとう一時的な安心しかえられないと思います。

付け加えると、柳田国男、折口信夫、五来重の本を読めば、日本人の霊魂観については何となくつかめます。新興宗教の霊魂観は別に目新しいものではないことがよく分かるでしょう。



39 名前: 私 投稿日: 2000/07/08(土) 10:41

確かに真光の信者からの反応がない。信者の方、私の言い分を打ち破って下さい。お願いします。



40 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/08(土) 11:17

元崇教真光の者です。
39での言い分はもっともですが、おそらくほとんどの真光信者はそういう
一般論的な霊の解釈には耳を貸さないでしょう。真光の業によって霊障を
見せられているためです。いくら霊障を気にするなといったところで、
眉間にお浄めを受けて霊動を体験してしまったような組み手さんたちは
霊の実在をかたくなに信じるようになっていきます。いままでここ2チャンネル
でも真光のスレッドはいくつもありましたが、霊障という一番深刻な問題
は、常に催眠術だ、暗示だと片づけられ全く論議されてきませんでした。
普通の宗教であれば、教団運営の問題点や嘘を指摘すれば信者の方は
理解を示してくれるのでしょうが、真光の場合は多くの組み手さんが
神秘現象や霊動体験をしているため、真光での奇跡は神の力だと信じ
こんでしまい、たいていの嘘や問題点は、神の御経綸(計画)上の都合
だとか、アガナヒ現象だとかで片づけられてしまうのです。
わたしは他のスレッドで、光玉師がかつて救世教を罷免されたことなど
を語りましたが、実際、現役の組み手さんのなかにはこういった事情を
知っておられる方は結構いるのです。しかしながらそれをいくら問題
提起しても、上記の理由で片づけられてしまうことがほとんどですし、
組み手さんが教団内のトラブルに巻き込まれて損害などを被った場合
でも、前世の罪だ、禊ぎ祓いだとかいう理由ですまされてしまいます。
信者の方に目を覚まさせるには、真光の業でなぜ霊動が起こるのか
そのあたりを精神医学的に解明していかないと難しいかもしれません。






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