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1984年06月15日(金)

151 名前: 70 投稿日: 2000/07/15(土) 01:45

>132
ワールドメイトでは深見という人が「蛇による霊能力だ」と言っていたのですか。
偶然なのか、高橋信次という人の本にも、手かざしの人についての話に蛇が出てきます。
まぁ、真偽は置いといて、面白い話と思って読んでみてください。
話の内容の一部を抜粋:
「私は○○教団で上級研修を終えた道士ですが、憑依霊をとることができます。
○○教団で与えられている御魂(←御み霊のことかな?)をお受けしなくては○○業はできません。
私は御魂を首にぶら下げているため、あなたを浄霊することが出来ます。」
後ろ向きに座った私についているらしい霊に向かって、大きな声で「おしずまりー」と声をかけた。
いわれるままにしてやることが必要であった。
2〜3分が経った。
彼女は手かざしをやめて、合掌した手をくねらせ、蛇のように体まで動かしている。
しばらくしてから、私は憑依霊に言った。
「おまえはこの者に憑依しているが名乗りなさい」
「私は蛇です」
「おまえはどこからきたのか」
「私はこの女を指導している。
人間は馬鹿だからこんなペンダントを高い金を出して買って、御魂だなんていって首にぶら下げているんだ。
粗末にすると罰があたるといわれているものだから、風呂に入るときなど大事に外してるよ。
神さまのためにといって金を出させているんだ。
人間は、先祖がついていると思ってるんだ。
この女もそのために心がざわついて夜もあまり眠れないんだ。
そして、道場でお浄めをしているから俺達の配下がどんどんできるってわけさ」
私は憑依霊に神の光を与えた。
そうするうちに、光の天使で竜や蛇を支配している竜王がそばにきて、ついにこの蛇を強引に引っ張り出して連れて行ってしまった。
彼女は苦しみから解放されて、昔の元気な心をとりもどし、今は幸せな家庭の主婦として生活している。
「さわらぬ神に祟りなし」のことわざの通り、その後間違った信仰には入っていない。
(以上、「心の発見(現象編)」p218より一部を引用)



152 名前: えるも 投稿日: 2000/07/15(土) 02:27

>SVさんへ

 なんの解決にもならないかもしれませんが、なにかの参考になればと思い、知人のことなどを書かせていただきます。
 私の知人で、両親ともエホバの証人という家庭に生まれ育った人がいました。
 中学生ごろから教えに疑問を持ち、高校卒業と同時に家を出て、コンピュータ関連の職に就きました(当時はまだ、エホバではコンピュータは悪魔の勢力とされていたころです)。
 大変優秀な頭脳の持ち主でしたが、厳格に教義を守る親は大学進学など許してくれるはずもなかったのではないかと思えます。
 エホバの教えでは、家族が一緒に暮らさないことも罪とされます。しかし、彼は一歩を踏み出し、信仰とは縁のない女性を妻に迎えました。
 もちろん、エホバの子弟が信者以外の女性と結婚するなど、両親が許すはずもありません。

 彼が捨てたものは、「いつハルマゲドンが来て自分の罪が裁かれるか」というおびえでした。そして、手に入れたものは、「自分の人生を自分で切り開こう」という自信と、最愛の妻です。
 両親への思慕の情は、今でもきっとあることでしょう。しかし、どんな人間であれ、親とはなんらかの決別の時を迎えざるをえないのです。

 彼のようなケースは、全体の中の割合としては少数派でしょうが、決して珍しいものではないはずです。
 生まれ育った場所を一度捨てて、どこでどう生きるかは、20歳前後の人間にとって最大のテーマですし、もちろん親元で生きることを決心する人もいるでしょう。
 大切なのは、「それを選び取ったのは自分だ」という人生への覚悟ではないでしょうか。
 これは、どこの宗教だとか、信仰をしているしていないに関わらず共通していると思います。

 真光についてはあまり詳しくないので(知人に一人いましたが、あまり熱心な組み手ではありませんでした)とおりいっぺんのことしか言えません。
 ここのスレッドに誘って下さった方のご期待に添えないことを省みると、申し訳なさでいっぱいです。
 



153 名前: えるも 投稿日: 2000/07/15(土) 02:32

(続き)
どんな人間でもなんらかの形で他人に迷惑をかけています。
というか、そういうふうにしか人間は生きられないのだと思います。

そのことを苦しむのは、良心があれば当然なのではないでしょうか。
その苦しみをエスケープして「幸せ」に過ごすより、
苦しむべきこと悲しむべきことをしっかり心に刻んで生きることのほうが、
人生を本当に味わっているといえないでしょうか。



154 名前: SV 投稿日: 2000/07/15(土) 19:07

>152
70さんへ
「宗教変われば見方も変わるんだな」と感じて面白いと思いました。
話の真偽は分かりませんが高橋信次という人の本の、「心の発見(現象編)」p218
にはそう書いてあるんだとすると、それを少なくても信じてる人が居るわけですよね。
そして確かにちょっと考えるとそういう見方をすることも出来ます。
前にえるもさんが89番、91番で言っていた
>どの解釈も、「絶対に正しい」とも「絶対に違う」とも言い切れません。
>どれを選ぶかは、人それぞれの判断基準に任せるしかないのです。
というのに凄く感心したんですが、その通りですね。



155 名前: SV 投稿日: 2000/07/15(土) 19:07

私は何か最近心にゆとりが出てきました。
私が世界真光文明教団を信じる、信じないは別として
いろいろな話を聞く面白さが分かってきました。
115番のハエたたきさんの御み霊へのご意見を今日また読み直したんですが、
思わず今日は笑ってしまいました。(笑)
教団を客観的に見る眼を持つ価値はあると思います。
気が楽になりますから。最初事実を突きつけられた時は辛いですが、
それを受け入れると楽になったと思います。

インターネットは凄いですね。もしインターネットが無かったならば、
このスレッドで私が手に入れた情報を私は一生見ることは無かったと思います。
教団側では教団側に都合の悪い情報は我々一般組み手には
完全に隠しますからね・・・
その点いろいろな人が集まり、各人が各々の持っている情報、知識を
公開し、いろいろ教えて頂けるこのような場はとても有意義な場であるとおもいます



156 名前: SV 投稿日: 2000/07/15(土) 19:20

えるもさんへ
>大切なのは、「それを選び取ったのは自分だ」という人生への覚悟ではないでしょうか。

>その苦しみをエスケープして「幸せ」に過ごすより、
>苦しむべきこと悲しむべきことをしっかり心に刻んで生きることのほうが、
>人生を本当に味わっているといえないでしょうか。

両方とも心に響きました。
その通りだと思いました。
苦しみ、嫌なこと、都合の悪いことから眼を背けてるのはいけないですよね。
現実を見据える勇気・・・これを身につけていきたいと思います。

「陽気であれ、明るくあれ、疑う前にまず信じてみなさい。」
という真光の教えが今となってはぼやけて見えます。



157 名前: えるも 投稿日: 2000/07/15(土) 23:11

>SVさん

すこしだけでも、お役に立てたようで嬉しく思います。
もし、真光の信仰を続けるとしても、
同じような悩みを持つ人のよき理解者であってください。



158 名前: 70 投稿日: 2000/07/15(土) 23:56

SVさんへ

>>どの解釈も、「絶対に正しい」とも「絶対に違う」とも言い切れません。
>>どれを選ぶかは、人それぞれの判断基準に任せるしかないのです。
>というのに凄く感心したんですが、その通りですね。

その通りですね。真偽が言い切れないものを選ぶ場合には、
人それぞれの判断基準が選択のキーになりますね。(^^)

私の書き込みは本筋からかなり遠いので無視されるかと思いましたが、
レスいただけてとてもうれしいです。(^^)
私の書き込みも、あくまでも、見方の1つであるという気持ちで
書き込ませていただいてます。レスありがとうございます。



159 名前: 93 投稿日: 2000/07/16(日) 03:57

レスおくれてすんません。
ええと、すいません。あの内容あんま考えずにかきました。
意味としては、教団運営の上で、組み手同士にいざこざが
おこるのは仕方がない。それがおおきなものであれば、組織運営を
円滑にすすめるために、それを隠すのもやむおえないという意味で
書いたんです。
いずれにしても、これは組み手どうしの問題であり、み組み手の
方にかんしてではありません(迷惑をかけることについてね)
たぶん、他のとこよりはきれいですよ。それに関してはね。

で、私自身のスタンスですが、私は信じきっているわけではありません。
はっきりいって半信半疑です。疑の方がつよいかもしれない。
でも、道場は毎日参拝してます。
で、それが許されるとこに(信じきれてないこと)、真光の魅力があると思ってるんです。
教え主様も最近はしきりに、世間との折り合いを大事にしなさいよと
いってますし。私のいってるとこの道場長もそれを第一に考えている
方なんです。だから、道場へいってるといえる(拠点によっても違うんだろうけど

『他の宗教のこと調べたり、一遍いってみたりみれば』みたいなこと
いってるかたがいますが。そら、他の宗教やってる人にこそいいたい。
特に真光は諸教系ですから、いろんなおしえがつまってる。
少し、熱心な組み手だったら、他のとこのことも調べてますよ。現に
創価学会員と両立させてるって人もいるらしいし。
私だって、救世教の分裂教団やらのこと独自にしらべてますしね
私の知り合いには元真如苑の方もいますしね。
あと、SVさん。126についてなんですが。
これに関してはどうしても賛成できません。
思想信条ってのは自由です。
それを宗教やってるってだけで人のことをさけるってのは
差別ですよ。あなた、差別されたんですよ。
なのに、なんで、自分が危害をあたえたと思うんです?
もちろん、我々は世間から考えたら一般の人と
相容れない教えにそって、動いてる。だから
それをきもちわるいって思われるのも仕方がない。
だから、こそ、分かってもらえるために布教してるわけでしょ?
なら、わかってもらえるよう努力しようって考えるのが普通でしょ?
これは、狂信とかとは関係ないですよ。
そんなことで、危害をあたえたから、今までのことを考え直す。
ってのは自分の信仰心がゆらいでる自己正当化でしかないと
思う。そういう経験していやなおもいしながら、でも、人の
ことも思いやるってそういう方向に頭をむけなさいよ。
って。すんません。つまらんことかきました。
じゃ、いってるオレなんか全然できてないもんな。
まあ、がんばりましょう(しめがそれかい!!)





160 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/16(日) 05:36

>159さん
信じてないけど面白い、そういう点で同感です。
でもやっぱり、「真実」を求めたい人にとってみれば疑念を払拭しつづ
けることが彼らの願望を満たすことに必要な条件かもしれませんので
「真実」に見切りをつけるきっかけがない限り他者を否定して、自らを
「真実」に近づけようという行為はいたって「自然」なのかもしれませ
ん。

あるいみ、「真実」を押しつけない(あるいは押しつけるほどの中身で
もない)真光は、宗教としては脆弱なものかもしれません。それがいい
ところともいえます。判断はそれぞれです。





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