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参考文献・データ
悪霊払い自称霊能師ら逮捕−読売新聞
首都圏の駅周辺で「あなたには悪霊が取り付いている」などと声を掛け、「悪霊払い」の名目で多額の祈とう料をだまし取っていたとして、神奈川県警生活経済課と大船、鎌倉署などは21日、同県鎌倉市梶原3、自称霊能師の宮崎俊一容疑者(55)ら男女9人を詐欺の疑いで逮捕した。
県警は、女性を中心に約1700人から約1億5000万円の祈とう料を詐取したとみている。
県警は昨年2月、鎌倉市内の「祈とう所」などを捜索。複数の被害者から事情を聞いた結果、通行人らに同じような言葉をかけ、祈とう料をだまし取る悪質な霊視商法と判断した。
調べによると、宮崎容疑者は、2000年12月ごろから昨年2月ごろまで、「弟子」と称する8人と共にJR東神奈川駅など9か所で、横浜市内の無職女性(29)ら8人に「あなたの背中に怖い顔をした女の霊が取り付いています」「3日以内に死にます」などとうそを言って信じ込ませ、宮崎容疑者が主宰する「祈とう所」を紹介。「悪霊払い」の祈とう料との名目で、8人から計512万円をだまし取った疑い。
弟子たちは、テニスウエア姿でラケットやバイオリンケースを抱え、東京、神奈川、千葉、埼玉などの主要駅近くで「キャッチセールス」をしていた。被害者の多くが20―30代の女性だった。
昨年2月に捜索を受けた後は、名古屋市や大阪市へも出張。駅周辺のホテルの1室を“祈とう所”にして祈とう料を取っていたとみられる。
宮崎容疑者は、読売新聞社の取材に「声掛けは布教活動の一環で、弟子がテニスウエアを着るのは、話を聞いてもらうためのファッション」「高校生のころ川でおぼれ死にそうになり、霊能力が芽生えた。だますつもりは毛頭なく詐欺ではない」などと話していた。
祈とう所は、JR北鎌倉駅そばの山あいの民家の1室。お経の録音テープが流れる密室で、水晶などを使い「悪霊払い」をしていたという。祈とう料を払った人の中には、悪霊に取り付かれたと信じ込み、今も「鏡を見るのが怖い」「夜、眠れない」などと精神的な被害を訴える人が少なくないという。
(1月21日13:31)
http://www.yomiuri.co.jp/04/20030121it06.htm
危ない宗教を見分けるポイント
日本には十八万を超える宗教団体が存在します。本来、煩悩を断ち、心を安らかにする宗教なのですが、現実には宗教団体が栄えて信者数が増えるばかりで、なぜか心豊かで、幸せな人々が増えているとは思えません。宗教の悩みも心の問題も減ったどころか、逆に悩みが増え、被害者が増えています。・・・ 貴方も狙われています!
正しい宗教とは・危ない宗教とは
1.永遠不変,一貫性がある。
これは立教の当時から現在まで、変わることのない教義が説かれているかどうかということだ。釈迦は、「初めもよく、中頃もよく、終りもよき教えを説け」といっている。 悟りを開くということは、永遠の真理に到達することだ。その教祖の言動や教義が教団の都合で、コロコロ変わる宗教はインチキだということになる。
2.宗教にも普遍妥当性はある。
宗教の本質を考えれば、宗教の真理は、本来一つでなければならない。世の常識ないしは良識に照らして、おかしいと思うような宗教はありえない。
3.神は神殿をつくらない。
釈迦やキリストは大神殿をつくらなかった。時代がちがうとはいえ、神殿など教団財産の拡大を目的にするような宗教は必ず墜落する。
4.罰があたる」と恐怖心に訴えることはしない。
人の心を安らかにするのが、宗教である。神や払を引き合いに出して恐怖心を与える宗教はニセモノである。
5.正しい宗教は世襲化しない。
どんな理由があろうと、世襲は教団の財産を子孫に譲ることである。人情、欲望は、真の宗教の道を踏み外すもとである。
6.教祖を神格化しない。
人間は神ではない。釈迦やキリストが、偶像崇拝を否定したことでもわかるように、教祖を神に仕立てることは、驕(おご)りと増上(ぞうじょう)慢の結果である。
7.言うこととやることが一致している。
慈悲や愛を説きながら、その一方で豪邸に往み、贅沢している教祖は、民衆の苦しみを理解できない俗物である。
8.現世利益(げんぜりやく)だけを説く宗教は正しくない。
新興宗教は現世利益を売り物にしているところが多い。現世利益とは、要するに病気治し、商売繁盛、お金儲けという欲の絡んだことばかりだ。その結果、宗教団体が栄えても宗教とはほど遠い我欲にまみれた日本の現状があるわけである。
9.正しい宗教は「盲信」を強要しない。
信じることは重要であり、大きな力の源であるが、だからといって、教団が「素直に信じろ」といい「疑問を持つことは信心が足りないからだ」というのは、まちがいである。信仰をしていて、疑問が生じるのは、当然のことであり、その疑問を解くことで、さらに信仰が深まるというのが、正しい信仰であろう。その意味では、疑問に答えられない宗教は本物ではない。
10. 正しい宗教は金で救われるとは言わない。
人の弱みにつけ込み、同情するふりをしては「因縁を切ってあげる」とか「水子の祟りがある」といいながら、大金を強要することは、危ない宗教を見分ける、もっともわかりやすい判断基準である。
11. 正しい宗教は会員を増やせと強要しない。
伝道も献金も強制的に行うものではない。本来は、自分が信仰によって救われ、幸せになれた喜びを自分一人のものにしてはおけないという思いから行われるべきものだ。 「自分が救われるためには、まず人を救わなければならない」といって、信者獲得を強要することは、本末転倒である。
12. 領収証を出さない教団は危ない。
問題のある教団は、一般に領収書を出すことを警戒している。あとで訴えられたり、脱税で問題になったり、ロクなことにならないというわけだ。 もっとも、最近は堂々と領収書を出して、集団訴訟が起こっている教団もある。その意味では、領収書を出す出さない以前に、領収書が欲しくなるような高額の献金自体が問題ということだろう。
13. 正しい宗教は批判を受け入れる。
教祖の神格化や偶像崇拝に象徴されるように盲信を強要する一方、信仰や教団の在り方に対する批判さえ許さない教団が多い。人間は批判があって、初めて成長もし、正しい道を踏み外すことなく生きていけるのである。 その当たり前のことが許されないため、宗教の現場には教団によって批判能力や判断能力まで取り上げられ、思考停止状態にされた信者たちでいっぱいなのである。
「危ない宗教の見分け方」 早川和廣 大法輪 平成10年1月号104頁
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