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1980年03月30日(日)

光玉の真実2 No: 654 [返信][削除]

投稿者:しろ2 02/08/08 Thu 03:05:45
失われた過去ログのコピペです。
光玉に関することが書いてあります。
何をいってるのか、ちょっとわからないところもありますが、
光玉が幾度か裁判沙汰を起こしたことなどが述べられています。

−−−−−−ここから−−−−−−−−

【タイトル】心霊医学会 No: 1180
【 名前 】仲村 光
【 日付 】2001/11/09 18:27:33

岡田光玉は昭和三十三年結成された岡田道一の主宰していた「心霊医学会」の理事を務めていた。

 岡田道一の著書、「霊癒の科学」には賛同者として岡田聖玉の名が掲載されている。

金井南龍主宰、神理研究会「さすら」
その一
金井 石田先生ネ、、、、岡田○○ね、、、話が横に飛んで済まないのですが、何千から何万という具合に信者が増え出すと、、、信者が二ケタか三ケタ位のとき、酒席で一緒に軍歌など歌ったときには、嘗っての軍人のときのスナヲさを裸になってサラケ出しましてネ、、、コイツ、、、好いとこあるわい、、、なんて思ってたんですか、、、いつしか「生き神様」の「積分人間」になって了うと、無学文盲ならソレで押し通せますが、彼は高級将校で理性のカケラがあったでせう、、、それで、、、絶対自己の矛盾撞着を感じていたんですネ。 その統一の場とは死でしたよ、、、

石田 馬鹿と気狂い、、、は長生きすることに、、、

その二
世の中宗教裁判位六ヶ敷しいものはない。 ということを奥弁護士は其の体験からして云われている。 氏の懐旧談は中々蘊蓄に富んで居るのである。
二木博士(岡田道一の間違い)創設の心霊医学会に奥さんと家内(金井)さんは好く理事としてその名の如く隣り合って座ってたものである。

「彼、わしの顔は、人間であるならば、マトモに見られたものでないのに、、、」「狐霊(どうぶつ)だからシャーシャーしてますよ」

これは岡田光玉理事のことについての二人の囁きである。 物価統制時での岡田氏の違反や、彼の女性関係での破廉恥行為に対する数度の裁判沙汰のとき、奥弁護士は岡田の弁護を、両人とも熱海の救世教での顧問弁護士と支部長、知己(チカヅキ)以来、岡田氏の裏切り独立営業での度重なる裁判沙汰で、引き受け、岡田の戸籍を汚させなかった。
(原文、漢字の誤りの他、そのまま)

−−−−−−−終わり−−−−−−

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茂吉もろくなもんじゃない。 No: 657 [返信][削除]

投稿者:しろ2 02/08/08 Thu 04:38:49
【タイトル】「暴かれた真光」「崩壊しつつある真光の基礎」補足資料「中島氏の悶死」 No: 4247
【 名前 】ジャイアント馬場清晴
【 日付 】2002/04/25 20:58:13

「暴かれた真光」のうち3.Mahikari's Crumbling Foundationsに関する事項。
岡田光玉がいた救世教の天国会の会長、中島氏及びこのときの世界救世教の置かれていた概況について。

8/12,9/12「崩壊しつつある真光の基礎」
「資料:世界救世教の文献;岡田仲道(光玉)氏に関する記述が見られる。

私は天国会移籍後、西荻窪の支部で助手をしておりましたが、そこに岡田仲道氏が支部長として赴任してきました。四十八歳の岡田氏は(略)私は遂に意を決して中島先生に指導を求めました。先生は「岡田にやらしておきなさい」(以下略)」

*先ずこれは岡田48歳というなら、昭和24年頃の天国会。

9/12「中島先生:天国会の会長。岡田茂吉氏が大本教在籍当時から茂吉氏の弟子として仕えた。中島氏は大本教時代より霊的事象に関心が強く、それに光玉氏も強く影響を受けているようである。」

「崩壊しつつある真光の基礎」には、岡田光玉の天国会在籍当時の集合写真や、軍人時代と随分顔が変わったなと思える変遷の写真、またグリーンウッド氏が富田秘書課長より送られた質問の回答も出ており、発掘的な資料集といえる。

では、この昭和24・25年は、世界救世教はどんな状況に置かれていたか?
先ず世界救世教とは呼ばれていない。観音教といっていた。
そして脱税事件で「第二の璽光尊」として当局の追及を受けていた時期である。
光玉は、そういうさなかに天国会に在籍していた。

以下は「真相」1949(昭和24年)3月号「右翼につながる観音教の仮面を剥ぐ」。
「真相」1950(昭和25年)1月号「特集日本の黒幕、観音教の黒幕
”お光さま”をトリコにした男」から、岡田光玉のいた観音教の記事を紹介。

なぜ、紹介するかといえば、岡田甲子の出自について、
「暴かれた真光」では「井上ファミリーの出」となっているが、
観音教のファミリーといえる中で井上姓は井上茂登吉が先ず該当するが、
このような大幹部の血縁者が、はっきりせずに光玉の妾というのが、果たして
有り得るだろうか?という疑問を投げかける材料としたい。

さて、1949・3月号の書き出しは、
「あら稼ぎするおひかり様」と小見出し。

「昨年(1848年)12月はじめ頃『脱税と政治献金』の疑いで
 大蔵省査察部と法務庁特別審査局が観音教追求の活動を開始して以来、
 都下の各新聞は一斉に日本観音教の教祖岡田茂吉の正体について書き立てた。」

*「真相」には当時「第二の璽光尊」と騒がれた観音教の岡田茂吉の療法は、
「茂吉が大本教へ行く前に」鈴木美山という心霊学者が、
大正末期「健全哲学の学会」を開いたころ入門して習った「哲理療法」が芽をふい
た療法であると調べている。

「真相」

「大本教が邪教として当局の弾圧を受けた時、岡田茂吉はいち早く転業して、昭和10年半蔵門近くに日本観音会を設立。岡田仁斎となのる。
哲理療法では患部には手を体にふれずに病気を治すというのが
「医師類似行為取締法」に引っかかって禁止。
それなら指先でも触れればよいだろうとばかりに指圧療法をはじめた。
しこたま蓄財し、昭和19年熱海市東山1712に、
山下汽船の社長・山下亀三郎がもっていた別荘を70万円で買取。ここを本拠に
全国的布教網を拡大。
ついで同年、箱根山強羅1500の藤山雷太の別荘を買って神山荘と名づけ、
詣でる善男善女をスッ裸にして療法を行うのでハダカ・ショウの異名をはせた。」

「この商売はすごくもうかるとみえて、しだいに当局の注目するところとなった。
何しろ表面は指圧療法なので当時の特高が得意のスパイをもぐらせても、
用意周到な岡田はついに引っかからず、邪教として検挙しようと力んだ特高に
一泡ふかせたものだ。」

「そこで運よく終戦となり、世はあげて民主自由のはきちがえ、その上特高警察
解体ともなれば、天下晴れて岡田は思う存分に無知な愚者の弱味につけ込み、
こんどは「日本浄化療法」と銘打って宣伝これつとめた。
岡田の説くところによると、日本浄化療法はフランス起源の磁気療法(?)と
同じだそうで、熟練の結果人身にある磁気を強力に集中して手から患部に放射する。
これによって人体内の毒素を溶かして目やに、鼻汁、痰、または小便となし、
体外に出してしまうというのだが、霊験あらたかな「おひかり様」の療法を受けて
可愛い女房と子供をムザムザ殺した男もあるから、
インチキ宗教といわれても仕方あるまい。
前熱海駅長三尋木某もその一人であるが、
それでもまだ熱烈な信者で他人に療法をすすめてまわっているから、
良識のある人間には理解ができそうにもない」1949・3


軍人勅諭 No: 424 [返信][削除]

投稿者:ジャイアント馬場清晴 02/07/25 Thu 16:32:10
岡田光玉以下、真光幹部。世界真光文明教団代表役員地位保全事件にて
証言をした幹部、友森清春、石毛省三、松平定堯らは
陸士34期の元陸軍将校である。
軍人勅諭に基づけば、軍人たるものは、軍人勅諭という鉄の掟に生き死にするのが士官学校の教育ではなかったのか。
八月十五日放送の詔書に続き、
二十五日には、陸海軍人に対して勅語が渙発されたという。
艱苦に耐え荊棘を拓き、戦後復興に力を致さんことを復員将兵は諭された。
戦後、男はもう統率できないから、巷の貧しく無学な婦女子から金を出させ、
金持ちになることが、果たして艱苦に耐え荊棘を拓いたことになるだろうか?
金につまずいたのではないか?
宗教法学会報題5号(1986、11)には、教祖用の御霊の写真が出ているが、
西洋人の頭部が横向きにレリーフされた図柄である。
解説として「これは実は、アメリカの1866年の、
金貨を首飾りにしたようにみえます。
しかし実は、これは金貨そのものではないので、中が開くのです。
これはスイス製の高級時計なのです。
スイス製の時計の中に、先代(岡田光玉)の書いたその「聖」という字
が入っている。それがご神体なのです。」
と大野正男弁護士の解説。
さて、陸軍士官学校では伝統的に、
明治11年第1回の卒業式から、卒業式には原則として天皇が
行幸され、優等生に御下賜品を賜った。
恩賜品は、その時期によってさまざまであったが、
のちには銀時計に統一された。

高級時計。
それは士官学校卒業生にとっては、優等生が頂く銀時計を連想させるものではないか。それ、高級時計を賜る方は、当時にあって、陸海軍の統帥権を司る絶対的権威。高級時計を自分が次の代に授与するという光玉の試みは、
自分が天皇陛下の真似をした気分を演出してくれる気配が無いとはいえない。
それが光玉の場合、アメリカ金貨をかたどったスイスの高級時計。


[1333]教祖と裁判 by.A 2002年05月23日(木) 05時30分

20日読売新聞では、松本被告は弁護団の接見に応ぜず、反証方針の打ち合わせにも「何のご用ですか」と言い放ち、接見室にすら姿を現さなかったという。
「何のご用」と言ったって。
消えた「手かざし宗教の真実」に崇教真光の岡田光玉と、この教祖に手をやいた弁護団ではなく、この場合弁護士さんのやりとりが、なんと心霊研究雑誌に出ている。ということが話題になっていた。そのまま出したほうが誤解がないと思う。
01/11/19「さすら」について
「さすら」は東京の早稲田にある「日本心霊科学協会」で閲覧できます。
一部については、貸し出しも出来ると思います。
01/11/19
Re:心霊医学会
「さすら」は神道研究の学術誌で、たとえば國學院大學の図書館にも蔵書があります。このような書誌にこのような記事がのるとはおどろきです。
(このような記事とは、次段の奥一夫弁護士の談話のこと。神道研究家の紹介に数々の質問が。)*新着順に投稿を並べたので↓が最初。
01/11/17
>>金井南龍主宰、神理研究会「さすら」この文献についてもう少し詳しく教えてくださらないでしょうか。国立国会図書館などで閲覧できるでしょうか。
「さすら」は国会図書館に架蔵されていますが、あの文章が何年何月号か明かしたくありません。資料が破戒隠滅される可能性が有るからです。
私が引用した部分は、奥一夫といい救世教の顧問弁護士をしていた人でした。
既に故人ですが、東京弁護士会の副会長をしていた事も有ったようです。
心霊医学会は今では存在しないようです。岡田道一と二木健三が中心になって発足したようです。岡田道一がずっと理事長をして、二木健三が初代会長、二代目会長が小川勇でした。
(「さすら」に出ている奥弁護士の記事とは↓)
01/11/09
岡田光玉は昭和三十三年結成された岡田道一の主宰していた「心霊医学会」の理事を務めていた。
岡田道一の著書、「霊癒の科学」には賛同者として岡田聖玉(*光玉の別名)の名が掲載されている。
金井南龍主宰、神理研究会「さすら」
その一
金井 石田先生ネ、、、、岡田○○ね、、、話が横に飛んで済まないのですが、何千から何万という具合に信者が増え出すと、、、信者が二ケタか三ケタ位のとき、酒席で一緒に軍歌など歌ったときには、嘗ての軍人のときのスナヲさを裸になってサラケ出しましてネ、、、コイツ、、、好いとこあるわい、、、なんて思ったんですが、、、いつしか「生き神様」の「積分人間」になって了うと、無学文盲ならソレで押し通せますが、彼は高級将校で理性のカケラがあったでせう、、、それで、、、絶対自己の矛盾撞着を感じていたんですネ。その統一とは死でしたよ、、、
石田 馬鹿と気狂い、、、は長生きすることに、、、
[1334]1333「さすら」続き by.A 2002年05月23日(木) 05時46分

そのニ
世の中宗教裁判位六ヶ敷しいものはない。ということを奥弁護士は其の体験からして云われている。氏の懐旧談は中々薀蓄に富んで居るのである。
二木博士(岡田道一の間違い)創設の心霊医学会に奥さんと家内(金井)さんは好く理事としてその名の如く隣り合って座ってたものである。
「彼、わしの顔は、人間であるならば、マトモに見られたものでないのに、、、」
「狐霊(どうぶつ)だからシャーシャーしてますよ」
これは岡田光玉理事のことについての二人の囁きである。
物価統制時での岡田氏の違反や、彼の女性関係での破廉恥行為に対する数度の裁判沙汰のとき、奥弁護士は岡田の弁護を、両人とも熱海の救世教での顧問弁護士と支部長、知己(チカヅキ)以来、岡田氏の裏切り独立営業での度重なる裁判沙汰で、引き受け、岡田の戸籍を汚させなかった。
(原文、漢字の誤りの他、そのまま)
[1335]問題の多い教団の行方と現状 by.A 2002年05月23日(木) 06時39分
真光の創設者、岡田光玉を呆れながら尻拭いをしてやった奥弁護士の談話を「さすら」から。岡田光玉死後、今度は教団の遺産争いで、実態の真実をよく熟知する人は大野正男弁護士。(宗教法第5号論文)とバトンタッチ。
もともと女性関係はじめ問題があった教祖の始めた団体だが、それがリックロスのところで、オウムとリンクのきなくさい関係。
信者の現状といえば、例えばこんな訴えも出ていた。
2000/08/21 子羊
オヤジが崇教真光に入り、おみたままでもらってしまった。
「ごくびじっそー」と一日じゅううるさいし、
何かというと怒り出すのでこまってます。
どうしたらいいでしょうか?
2000/08/21
>子羊くん
親父さんいくつよ?
なんでそんなもんに入れさせちまったの〜
2000/08/25
オヤジはソイ祭りだといって、先祖の位牌や仏壇を焼いて、川にながしてしまいました。
おかしな祭壇を高い金で買わされて一日中明かりつけっぱなしです。たばこに火をつけてお供えしています。消すと激怒します。
足のまがったスズメに「おしずまい、おしずまり」と言って「手かざし」をしたら、足が治ったそうです。
あと、駐車場でヤー公の車に接触して傷つけたのに、2万円の示談ですんだのは「おみたま」のおかげだといって道場で体験談を得意になって発表したようです。

こういう人がいるのに「真光関係者集合」!!板では、
01/11/19
真光はよく、自分たちは皇室関係者と親しいとうそぶいていましたが、
本当に宮内庁に電話して事実関係を確かめたら、
「そんな人たちは知りませんし、皇室と真光は何の関係もありません。」
とあっさり否定された。
勝手に皇室ストーカーしてただけなのねえ。

オウム真理教問題掲示板
http://www.makani.to/~kito/bbs/index.htm?brd=2



晩年の岡田光玉は宗教者には似つかわしくない贅沢に溺れ、金銀財宝を身につけていたという批判の声もある。だからこそ、せっかくの真光の業がありながら、天寿をまっとうすることなく、73歳で病没してしまったというのである。

初代教え主亡き後、分裂した両派にゴタゴタ騒ぎが絶えないことは、結局のところ、教団幹部連中に教団を率いる資格などないという事実を物語るものといって差し支えあるまい。

新興宗教教祖のウラの裏がわかる本 P165 早川和廣 ぴいぷる社 1988.11.25


803 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/01/13 10:41

書評 「新興宗教の正体」 早川和広著
あっぷる出版社(千代田区猿楽町2-5-2 小山ビル2F TEL 3294-3780)

 「岡田良一氏は戦時中に山梨県大月市に疎開したが、
そこで井上甲子さん(S4.12.16生)と出会った。
世話になったのが彼女の実家の2階である。
彼女は当時大月市民病院の看護婦をしていた。
良一氏はそこで世界救世教を知り、戦後に救世教を頼って上京した。」
 他にも同書には、教団分裂時のことが公平な観点が描かれている。
10年近くにわたる裁判と中傷合戦に嫌気が差して去っていった信者も
多いとある。

生年月日がほんまなら、72才ですな。


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