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1975年04月27日(日)

最終更新日: 2001.08.08

http://members.ozemail.com.au/~skyaxe/origins.htm

4.Mahikari, Mu and the Emperor of Japan 
  真光、ムー大陸、そして天皇崇拝
   By Steve Allerton
   スティーブ・アラートン


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現在○○真光を去って3年になろうとしているが、未だに真光の(オーストラリアの)指導者は真光と日本の天皇とのつながりを否定しており、それを見ると滑稽に思う。最近、私はブライアン・マクベイ氏によって書かれた本「Spirits, Selves and Subjectivity in a Japanese New Religion(日本の新宗教における霊、自我、主観性)」を送ってもらった。その本は、真光が否定するものに対する私の興味をかきたてるものであった。

1997年3月7日(金)のキャンベラタイムズの記事、「よりより世界の構築を求めて」、において、オーストラリアの○○真光の指導者であるアンドリス・テベシス氏は次のように言っている。「○○真光は、日本の天皇が世界の統治者であるという考えに基礎を置いたりはしていません。」

私は彼に同意できない。

私の議論を組み立てるため、真光の一般的な教義をもう一度見てみよう。

「地球は元一つ、世界は元一つ、万教の基また元一つ。」これはアンドリス・テベシス氏が1999年7月18日のキャンベラタイムズの記事の中で引用している言葉である。

1989年の真光の上級研修テキストの第一章は、宇宙の創造と日本の歴史、という名前がつけられ、世界の本当の歴史が信者に紹介されている。その歴史は、神道における天地創造の神話と酷似している。

神道:天地創造の神話と人類の起源:天と地の始まりにおいて、陰と陽は離れておらず、混沌とした卵のような形をした塊を造っていた。ついに天と地は別れ、葦芽(あしかび)のようなものが成長し、それらは一つになった。葦芽(あしかび)は、国常立尊(くにとこたちのみこと)という神に変わり、その神は永遠の大地を造った。6代後に最初の男性であるイザナギが、そして最初の女性であるイザナミが自然に生まれた。彼等は地に降りて日本列島や神々を生んだ。イザナミは火を生む過程で死んだ。イザナギは彼女の後をついていき、暗黒と死と腐敗の国へと入っていった。彼は思った。「恐ろしくて汚らしい場所に入ってしまった。これらの穢れを取り除かなければならない。」彼が脱ぎ捨てた服や、洗い流した体の一部から、まったく新しい世代の神々が現れた。その中には、イザナギの左の目から生まれた天照(あまてらす)、右の目から生まれた月の神があり、それらの神はまた新たな神々を生み出した。結果として、日本の最初の天皇である神武天皇の父である、ニニギ(天照の孫)が生まれた。

実際の人類の先祖やその創造については、完全に謎につつまれている。日本列島(地球の中心に位置する)の民がその他の人類よりも、神とより直接の関係を持っているという確信を除いては。

中級と上級の研修において、真光の信者は神の真理、世界の正しい歴史を教わる。

デイビス氏(1980、p.67-69)とマクベイ氏(1997, p73-74)は、その著作のなかで教えについて概要を記しているが、それは私のノートとテキストの内容とに一致している。デイビス氏は真光の神の教えに対して「み教え」という言葉を使い、Saviour(救済者)という言葉で真光の創設者である岡田良一氏を指している。

み教えによると、日本はかつてムー大陸の一部であり、その大陸は太平洋の下に横たわっているという。そして、日本は世界の中で最も古い国であり、再び人類の霊的中心になるのだという。

古代日本では、恐竜が歩き回り、F4戦闘機と同じぐらいの大きさの翼竜が空を暗くしていたという。(これらの翼を持った恐竜は、次の章で述べる龍神の現れなのだという。)「古代の文献」によると、一億年から一億五千年前の日本において大規模な地殻変動がおき、そのときに筑波山のふもとで何千もの恐竜が死んだのだという。その時、溶岩流がそれらの死骸を覆い尽くし、そのために日本では博物館に飾るような恐竜の骨格が発見されないのだという。その当時、日本にはヒマラヤやアルプスより高い山々があったという。ムーの時代から後の氷河期には、象やその他の動物が、人間を含めて、寒さの厳しくない南に向かって移動したという。南の島々の人々はこれらの移住した人々の子孫だという。救済者(岡田良一氏)は、日本人がこれら南方の人々の子孫であるという学説は、真っ赤な嘘であるという。

岡田良一氏の調査と神示によれば、ムー大陸は日本から南方のイースター島や東のハワイまで広がる大きな大陸だったという。東から西まで5000マイル(1マイル〜1.6km)あり、北から南までは3000マイルあったという。ス神が人類の創造のために使った霊的ひながたを最初に作り上げた場所は、ムー大陸であり古代の日本であったという。色々な役割を満たさせるために、最初の人類は5種類の色に分けて造られた。すなわち黄、赤、白、青緑、紫、である。すべての祭典で掲げられる真光の垂れ幕にある五色の縞は、五つの起源である人種すなわち黄色を主とする五色人(ごしきじん)を思い出させるものである。より正確には、日本人が主なのであり、中国人や韓国人などの黄色人種は、その他の人種ほど低くはないが、黄色人種の中でも劣っている部類に属するという。

古代日本は、全地球を支配する高度な文明を持った場所だったという。人類と通信をするために、ス神はその子孫であるスメラミコトを、日本人全体を統治する皇帝あるいは聖職者として派遣したのだという。彼の統治下で、ムー大陸の人々が使う2400種類の文字が開発されたという。これらの「神代文字(かみよもじ、しんだいもじ)」は、今日使われているあらゆる表意文字、音節文字、アルファベットの起源になったという。こうして、人類のすべての言語は日本に起源があるという。

スメラミコトは、広範囲にわたる彼の帝国を統治するため、日本の15人の皇子と1人の皇女を世界の色々な場所に派遣したという。その中でも最も優れた者たちには、メソポタミア、エジプト、インド、インカおよびカナダの帝国の古代文明が託されたという。これら神の皇族は−ブッダの16人の弟子と混同するが−狩猟や漁業、造船、機織、紙の製造などを人類に初めて教えたのだという。

彼らが築き上げた古代文明の遺物は、み教えが言うには、母なる大陸ムーの人々の生活をしのばせる重要なものであるという。例えばエジプトにおいては、日本の皇子であるツタンカーメンのシンボルである(そして日本の皇室のシンボルでもある)菊のマークが、ピラミッドの中に置かれたその他のたくさんの日本の遺物とともに発見されているという。これらのピラミッドは、ツタンカーメンが日本の「直系の子孫」であることを称えるために建てられたモニュメントだというのが事実だという。救済者である岡田良一氏は、ピラミッドは最初は日本に建てられたという。その理由として彼が言うには、語源学の立場からはピラミッドは「日来霊堂(ピラミドウ)」と書くことが出来るからだという。み教えによれば、日本の古代における名前は「ヤマト」であり、それは「ピラミッドの頂点の国」という意味なのだという。

概要(ノートより)

1.日本は地球上で最も古い国である。
2.日本はかつて人類の霊的中心であり、将来再び中心になる。
3.最初の人類は、5種類の色−黄、赤、白、青緑、紫−に分けて古代日本において創造された。
4.古代日本は、全世界を支配する高度な文明を持った場所であった。
5.ス神は、彼の子孫であるスメラミコトを、皇帝かつ最高位の聖職者としてこの地上を統治させるために派遣した。
6.人類のすべての言語と文字は日本に起源をもつ。「古代日本に文字が無かったというのは誤りです。日本には表意文字がなかったというのも誤りです。応神(おうじん)天皇の時代に表意文字が初めて日本にもたらされたというのも誤りです。」−岡田光玉(真光上級研修テキストブック、1989、P.3)
7.スメラミコトは、日本の15人の皇子と1人の皇女を世界各地へ派遣した。各国の名前はかれらにちなんでつけられている。
8.古代における日本の名前は「ヤマト」であり、「ピラミッドの頂点の国」という意味である。また、「ニホン」という名前の意味は「霊の元つ国(ひのもとつくに)/太陽の起源の国/陽霊の起源の国/霊の起源の国」という意味である。
9.ツタンカーメンは日本の皇子であり、エジプトのピラミッドは日本の皇室を称えるために建てられたという。
注) 6.の応神天皇の時代:西暦270年−310年
ムー大陸の住人は、最初は天国の王と呼ばれる一人の神を崇拝していたが、その本当の名前を使わなくなり、単に神(かみ)とかゴッドとか言うようになった。石でできた天井のない寺院がこの神とそのシンボルである太陽を崇拝するために建てられた。菊の紋、ピラミッド、太陽に加えて、古代日本の公式なシンボルとして十字架、蛇、スワスチカ(宇宙の秩序をあらわす)、3つの角のある王冠が使われた。海外に移住した人々によって世界中に運ばれたムー大陸の文献は、ポリネシアの伝説、中国の文献、プラトンの著作に現れた。旧約聖書は、ゾロアスター教の経典であるゼンド−アベスタを、日本の皇子であるモーゼがヘブライ語に翻訳したものである。

み教えによれば、イスラエルと日本は常に近い関係を持っているという。日本に保存されている記録によれば、モーゼはかつて日本の第94代天皇(※1)の命を受け、ユダヤの王としての立場で日本を訪れたという。茨城県にある皇祖皇太(こうそこうたい)神宮は、モーゼが十戒を刻んだ石が保存されているという。ヘブライ語は日本の天皇からユダヤ人への贈り物だという。この神社が所有する文献(竹内文献)によると、イエスキリストは18歳の時に日本へ来て苦行を行ったという。23歳の時、垂仁(すいにん)天皇(※2)から王の印をもらい、自分の国へ帰っていったという。その神社にある絵には、3つの菊の御紋が正面に刺繍されたローブを身にまとうイエスが描かれている。一旦イスラエルに戻り、イエスはトラブルに巻き込まれ、磔にあうところをかろうじて逃れた。彼の弟が代わりに処刑された。このきわどい逃避行の後、イエスは日本に帰り、118歳で死んだ。マリアとヨセフの骨からイエスが作った像が、その神社に今でも保管されているという。

(※1) 竹内文献は、戦前の日本政府が持っていた皇国史観とは部分的に異なる歴史観を持っている。皇祖皇太神宮のHPによると、モーゼが日本に来たのは不合朝六十九代 神足別豊(かんたるわけとよすき)天皇の御代だと言う。
(※2) 垂仁天皇の在位期間:紀元前29年−西暦70年
(注:皇祖皇太(こうそこうたい)神宮 http://www.kousokoutaijingu.or.jp/ モーゼの十戒石などの遺物があるとされている神社。かの有名な贋書「竹内文献」の公開者である竹内巨麿(きょまろ)によって立教された天津教の中心的神社。竹内氏は、何人ものオカルティスト、神秘主義者の妄想を取り入れつつ、竹内文献を創作していったとみられている。さらに、モーセの十戒石や、青森県戸来村のイエスキリストの墓などをも偽造していったと見られる。岡田良一氏もこの『竹内文献』を真光の教義に取り入れた。竹内文献による天皇家の歴史は、戦前の日本政府が持つ皇国史観と矛盾する点があったため、政府の弾圧を受け(天津教事件)、竹内文献は特高警察に押収され、東京大空襲で焼失した。)
------------- 「竹内文献」に関する資料 ----- 
竹内文献が語るSF的創世神話 http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text3.htm
近代日本における「偽史」の系譜 http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/tondemo/gishi.html
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