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歴史を書き換える真光: 岡田良一氏の教えを研究すると、彼は事実とフィクション、神話と伝説をまぜこぜにし、世界の歴史を書き直し、不思議で疑わしい話を作り上げているのは明白である。そして、「彼こそが現代において最高神と直接のつながりをもつ唯一の権威である」という断固とした警告を発している。彼は歴史、科学、宗教、そして哲学に対しても意見をもっている。彼は、現代は「かつてなかったほどの間違った時代(逆法の世)」である宣言した。彼の「神の」役割は、これらの間違いを正すことであるという。(彼は現在、霊界において働いているという。)岡田女史は、この「神の役割」を繰り返し強調する。そのスタート地点は、日本が霊的、心的、肉体的なあらゆるレベルで人類文明のゆりかごであることを世界にわからせることである。岡田女史は、彼女の養父からの連続的なイメージ(彼女が正当な後継者であるというイメージ)を作り上げるため、自分の教団の歴史を書き換えることさえしている。
神になった岡田良一氏: 教え主様(教えのマスターという意味)として知られる岡田女史は、○○真光の霊的な指導者であり、岡田氏の教えを神の法として支持し、信者は個人的に自分自身のカルマに対して責任があること、どんな種類の災難も個々の信者の心の状態や教えの実践の不足が原因であると強調している。
何年もかけて、岡田女史は莫大な費用をかけていくつかのモニュメントを建設し、彼女自身も自分を神の地位に引き上げた。つまり、最高の神と直接コミュニケーションできる唯一の人ということであり、「神は私に何々をしなさいと命じました...」という言い方をする。神について言及するとき、彼女は岡田氏の呼称も使い、「神と救い主様(聖なる救済者という意味)は....」という言い方をして、岡田良一氏が今は神となっていて人類を救う使命を持っているという信者の信念を繰り返し強めている。興味深いことに、彼女が彼のための神殿(43メートルの高さのピラミッド)を1992年に日本に建設したあと特に、岡田良一氏を見たとか彼が現れたとかいう体験談が、熱狂的に報告され事実として受け入れられている。
神になりつつある岡田女史: このカルト教団は今絶好調であり、内部での宣伝だけでなく外部の人をひきつけるために、その信憑性を強める目的で今だに神話を作りつづけ、非常に多くの信者の体験談を出版しつづけている。岡田女史は、1993年にイスラエルへ旅行し、ハルマゲドンを食い止めたと主張している。彼女が中東にいる直接の結果として、突然イスラエルとパレスチナ間の平和協定へむけての最初のステップが達成されたという。彼女は、彼女がその最初のステップを成し遂げたのだと主張して、うまく自分のことを宣伝した。しかしながら、その平和へ向けてのチャンスが後になって失われたことについて、信者はあまり深刻に受け止めないらしい。ここにも、もう一つの"Win-win situation"(どちらにころんでも教団のよいようになる状況)がある。
あなたの隣にいる真光: 真光は、静かにゆっくりと、将来にわたって存続するためのインフラストラクチャー(設備)を作りつづけている。オーストラリア首都圏政府から、その拡大計画の助けとなる土地を援助されたことは、教団にとっては強力な後押しである。教団の信者はすでに、この土地はオーストラリア社会のものではなく、日本に住む岡田女史のものであると誇らしげに語っている。
真光の勧誘活動における主要な目標は、社会に影響力のある人を引き入れることである。政治家、医者、裕福なビジネスマン、公務員などは理想的なターゲットである。これらの新しい信者が右翼思想をもっていると大歓迎である。真光は、陸軍中佐であった岡田良一氏と皇室神道から受け継いだ厳格な保守的右翼思想を持っている。
興味深いことには、ベルギー政府が教団を危険だと認定したときに、オーストラリア政府は教団の後押しをしている。オーストラリア首都圏政府にとって、ヨーロッパで何が起こっているのかに注意することは、自殺行為だとでもいうのだろうか? 臆病な政府を告訴してオーストラリア人の健康と安全のために働かせるようにするには、もっと多くの人々が死にかけていないとだめだとでもいうのだろうか?
ベルギーが道を開いた: 宗教団体を調査するベルギー政府委員会に最近報告されたところによると、○○真光の幹部は、彼らの団体はS界真光文明教団と呼ばれていたが1978年に○○真光に名前を変えたと主張しているという。委員会は、○○真光をSahaya Yoga, 統一教会、創価学会、サイエントロジーなどと同じカテゴリーに入れ、ベルギーにおけるもっとも危険な団体の一つと指定した。危険な団体を確認したことにより、ベルギー政府は現在の法律を国会で議論し、元信者たちのリハビリをしたり、団体の危険性を公表したりするための手続きを進めている。オーストラリアのニューサウスウエールズの立法審議会のメンバー、The Hon. Franca Arena、はオーストラリアの人々に情報を公開してカルト教団から守る必要があると見て、(ベルギーと)同じような国会委員会をつくることに向けて動いているところである。
社会福祉団体としての真光: 教団にある微妙な矛盾の一つに、数カ国で非課税の地位を得るために「慈善団体」という言葉とその一般的な意味を利用しているということがある。岡田氏の教えの中で明らかなように、彼は慈善活動のことを人類の苦難を永続させてしまうものと考えていた。もしある人がつらい状況にあってそれに対して援助がなされたならば、その援助はその人のカルマの解消と清浄化を妨げることになり、実際には不親切をしているのだという。さらに悪いことには、援助をうけている人は「悪いカルマ」を積み上げているという。だから、われわれより恵まれない人々を助ける活動をしている今日の世界中の人道主義団体は、実際には人類を霊的に汚しているのだと岡田氏は言う。○○真光の免税された資金は、一セントも社会には還元されない。それなのに、その指導者たちには高額の給料を支払う十分な資金的余裕があるのである。
一方、お金と時間と労力を岡田氏の教団、真光、に捧げることは、本当の意味での慈善活動なのだという。彼の「唯一最高の宗教」が広がるにつれ、より多くの人々が「光」を受けられるようになり、霊的に救われるという。この方が、戦争によってズタズタになった国々で飢えに苦しむ罪のない子供たちに食料を与えたり、われわれの社会の片隅にいる恵まれない人々を助けることよりも、ずっと良いことなのだという。このような実際的な形の援助は、彼の教えの中では非難の対象となっている。
真光の信者は、このような領域においては岡田氏の教えの厳しさから逃れることはできない。もし信者がつらい状況に陥ると、それは信者自身のせいであり、霊的なレベルが低いとか、教えに従っていないとか、罪と穢れを消すようにと神に祝福されているのだ、とされる。教団は、その苦しみをやわらげるように具体的な形で手を差し伸べることはせず、うれしそうにアドバイスをする。霊的な障害を取り除くため(悪魔払いのため)手をかざして「もっと光を与えなさい。」 そして「もっと道場に来なさい」と。真光の言葉では、光を与えることが最高の形の利他愛なのである。
信者の中では、日本にある真光の本部に各地域の拠点への財政的支援を期待することは、岡田女史と神からお金を盗むことに等しいと考えられている。地域の信者は彼ら自身が費用を負担しなければならない。子供を含めて信者たちは自分たちに対しては節約し、真光の神に対しては惜しみなくお金を払うことを奨励されている。真光にとっては、教団外での経済援助活動を考えることだけでも、全く受け入れがたいことである。
待遇の良い真光幹部: このような偽の人道主義的意味でなされる献金は、○○真光の幹部に還元される。特に、○○真光オーストラリア(有限会社)の幹部たちにである。住居、ベビーシッター、食事、国外国内の移動などが無料でまかなわれ、そして贈り物をもらっている。(ある人は誰がlocal Perks 税を払っているのかいぶかしがっている) 信者は、幹部は給料が安いという印象をもっており、幹部は人生を神に捧げているのだから、彼らを助けるのは正しいことだと考えている。このような信者の幹部に対する気前のよさは、異常なほどであり、時として幹部がそれを尊大にも期待してしまったりする。
岡田氏は教える。「川上を清めれば川下も清まる。」オーストラリアでは、これは次のように解釈されている。普通の信者は、もし幹部を助けたり援助したりすれば、自分たちもより霊的に清まる。もし信者が幹部に仕えれば、幹部は神のための神聖な仕事をより多くできるようになり、それは幹部をより清まらせる。もし幹部がより清まれば、幹部は川上なのだからその恩恵は普通の信者にも行き渡る。だからみんなが霊的に向上する。より高い位の幹部に仕えることは、神への奉仕と呼ばれる。それは、真光の教えを説く講師になったり、真光にフルタイムで雇われるためのトレーニングを受けることを許可される(「許される」)ための資格を得る際の必要条件になっている。多くの信者は、世間知らずかもともと気前がいいため、その言葉どおりに従ってしまうのである。
真光と免税: 真光が行っている最も大きなごまかし行為の一つは、課税を免れていることである。○○真光は、社会が行っている人道主義的な意味での慈善活動からの恩恵を受けることを拒否しない。この種の形の慈善活動は、岡田氏の教えの中で完全に否定されているにもかかわらずである。このような場合、すべてのお金は神のものと言って、教団は矛盾を全く認めない。真光は神の唯一の正しい宗教なのだから、教団に利益をもたらす仕組みは、どんなものでも受け入れるのである。真光はこれを「神の仕組み」と呼ぶ。
次の文章は、岡田良一氏の言葉をアラートン夫妻が日本語から英語へ翻訳したものである。(1997年5月5日) (注:英語版を日本語へ翻訳しなおしました。)
慈善活動とはどうあるべきか 寸教3、p.82-83
病気の人を救うために病院を建てること、そのためにお金を集めること...これらは薬によって汚染された患者の数を増やすだけです。それらは慈善活動とは言えません。私はそれらを偽の慈善活動と呼びます。それは罪と穢れを蓄積するだけです。「慈善活動」とは、人間から病気と貧困を取り除く行いのことであり、この地上に真の平和で安全な文明を実現することです。 天国文明を広める目的においては、現代において常識と考えられている間違いを正すことも「慈善」活動です。そのような活動により多くのお金を差し出すこと...これも慈善活動です。現代は偽の慈善活動が氾濫しており、世界はますます悪くなっていきます。 このような理由から私は、それだけになおさらなのですが、偽の慈善活動に一生懸命な人に対して望むことは、真の慈善活動に目覚め、貧困と病気に苦しみ心の平安を得られない人々を真の救済へと導くことに目覚めて欲しいということです。
もしある人が1億円を(真光に)寄付したとします。 それがどれほど救いの和をひろげるか想像してみてください。 それこそが偉大な救いではないでしょうか? 私はそれを「慈善活動」と呼びます。
<翻訳前の寸教>
寸教(崇教)H2.9初版 P224-226 [73]慈善事業とは
病人を救うために、病院を建てる。そのために寄付を集める----薬毒患者を多くつくるだけであり、慈善どころか罪業を積んでいく偽善事業であろう。 「慈善事業」とは、人類を無病化脱貧させて、真に平和で安泰な文明を、この世に顕現させていくために為すことである。 天国文明を拡めるために、現在一般常識とされている事でも、その間違いをハッキリ正していく事業、これも「慈善」である。 そういう事業のために、どんどんお金を出すこと、これも慈善事業なのだ。 今は、偽善事業が氾濫しすぎて、ますます世の中が悪化している。そのためにも、偽善事業に精を出している方に、早く本当の慈善に目覚めていただき、貧にあえぎ、病に苦しみ、やすらぎのない人々を真からのお救いに入れてあげてほしいものである。 仮にそうした意味で、ここに一億円を寄付された方がいるとする。それが元となって、どれだけ救いの輪が拡がることだろうか。 たいへんな救いになりはしないだろうか。これを「慈善事業」というのである。
免税されている真光スクール: 真光の野望の1つは、岡田氏の教えに基づいた学校をつくることである。彼は帝国主義、軍国主義、国家神道を決して捨てなかった。日本の真光信者の校長は、最近時計を100年前に戻し、1890年に発布された教育勅語の一部を毎朝朗唱するように指示した。教育勅語は衆参両議院において1947、1948年に排除・失効確認が決議された。それは、国家への忠誠、軍国主義、先祖への崇拝などの国としての「美徳」を生み出し、皇位を守り維持するため、また、従うべき理想のモデルとして軍国主義的ヒーローを復活させるために使われたのである。この種の熱狂が、1941年の憂鬱(敗戦のこと)をもたらしたのではなかったか? 日本の保守的な政府組織は、この帝国主義的な宣伝活動が国民の間に再び現れていることに喜んでいる。
この校長は、日本の著名な真光信者であり、真光の書物のなかに誇らしげに登場している。オーストラリアの真光は、日本の真光に従属している。すべてのポリシーは日本から来る。それは、彼らが建設したオーストラリア学校ではなく、日本の真光の帝国主義者の機関である。世界中の真光の拠点から集められた若者が、日本へ行き、特別な真光の学校(訓練部)で厳しく指導され、真光の幹部(導士)となる。日本人でない真光の生徒も教えられ、日本語で教育勅語を朗唱することを要求される。
もし彼らがオーストラリア社会で確固とした地位を得て、キャンベラにおいて彼らに与えられた土地を足がかりにスタートし、支払いを済ませて引っ越してきたら、そこの真光の学校でいったいどんなゆがんだ歴史、科学、宗教などを教えるのだろうか?オーストラリアの国がしたいことは、その子供たちを、オーストラリアは日本に属しているという考えにさらすことだとでもいうのだろうか?日本は霊の起源の国であり、人類のゆりかごであるという。オーストラリアは日本のある神にちなんで名づけられたという。日本は地球上で一番古い土地であり、ムー大陸の名残であり、そのもともとの名前は天国を意味する「アマグニ」だという。
岡田氏は主張する。歴史は妄想にもとづいており、特に人類と日本に関してはうそだらけである。日本の天皇は、世界の統治者となるべきであり、民主主義は程度が低く(真光内では禁止されている)、真光流の神政政治が未来において行われるという。真光はその信者を岡田良一氏の教えと、岡田女史の意思と、彼女が指定した代表者たちに完全に従うようにそそのかしている。彼女の権限に疑問を呈することは許されず、それは「霊の邪魔」として扱われる。教団内とより広い社会においてさえ、民主主義を完全に否定している。岡田はそれらを教えの中ではっきりと述べている。真光学校はオーストラリアの子供たちにいったいどんなインパクトを与えるのだろうか?
混乱: 真光は、見えないように隠された構造の中に、カメレオンのような性質と多面的な階層を持っている。もしある信者が教えの中に矛盾を見出したら、「霊的成長が足りない」とか、「文化に基づいた誤解をしている」とされる。代わりに、もし教団に対して批判がむけられたら、邪神が悪い霊を使って神の唯一の宗教を破壊しようとしているとされる。もし、元信者が教団との関わりに疑問を持てば、それは霊的に邪魔されているとされ、邪霊に支配され、正しい道に背を向けているとされ、または「神の光」や「神の支配」の霊的圧力に耐えられなくなったとされる。インターネットを含むメディアは、悪の力によって操作されているとされる。信者にとっては、それらから遠ざかることが、邪霊に操られず、汚されないようにするための最も良い方法とされる。
二つの教団の興味深い違いの一つは、元の真光(S界真光文明教団)は非常にオープンであり、インターネットをその宣伝に利用しているが、○○真光は逆で、プラグを引き抜いている(インターネット上での宣伝はまったくしていない)という事実である。
教団内でもし誰かが亡くなると、その人はスの神によって呼ばれ、岡田良一氏(今は彼自身が神とされている)とともに霊の世界で人類の救済のために働くのだとされ、または、その人はその人自身と家族の罪と穢れを究極の犠牲(命)によってあがない、きれいになって神に近づいたのだとされる。信者にとっては、魂が消滅するという恐怖は現実のものであり、もし彼らが真光を実践することによって清まることがなければ、神に見放され、再び生まれ変わることができないという。このようなことが信者の間では広く信じられている。
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