Dailyみぅこむ
今回はかなりマニアックなところを。
かれこれ9年近くも昔、私は一冊の雑誌を愛読していた。 それが宝島社の『HiPPON SUPER!(ヒッポンスーパー)』、ゲーム雑誌。 当時はファミコンからスーファミ(この頃全盛期)、PCエンジン、メガドラ、ゲームボーイにネオ・ジオ(覚えてるかしら)とまあ、コンシューマー機と呼ばれるもの全部を網羅した総合ゲーム雑誌はあまりなかった。で、その中でも異彩を放っていたのがこの『HiPPON』。ゲームのレビューは機種ごとにレヴュアーが分かれていて、数字で評価され、毎月発売済のゲームを一般人が投稿でレヴューしたりしていた。各ゲームメーカーが毎月お題目に沿ってフリートークを載せるコーナーもあって、他社のゲームを褒めていたり、と今じゃちょっと問題ありげなこともやっちゃっていた。攻略も恐ろしく詳細で、ニュースも充実。知る人ぞ知る、鈴木みそのコラムもあった。今は会社を立ち上げてる渡辺浩二も当時はこれのスタッフ。中古ソフトの売買価格相場まで網羅。ゲームだけじゃない、「読み物」もかなり充実していた雑誌で、連載小説も大好きだった。さらに投稿人魂を揺さぶる爆笑必至の投稿コーナーの数々。『BUG BOY SUPER CLUB』というコーナーでは、葉書の投稿でお笑いを競う大会がシーズンごとに開催されていたが、とにかく笑った。例えば、『BBSニュース速報』というコーナーでは、その通りギャグのニュース速報で競う。私が好きなのをひとつ紹介。 『ムック自宅前でプロペラをむしられそうになる』。 このように(?)ゲームにとらわれず、各テーマに沿ったお笑い大会なのである。 このコーナーには常連さんがたくさんいて、ペンネームを覚えてしまうほどだった。ひそかに憧れたりしてね・・・・ 小学校から中学校にかけて愛読していたこの雑誌、ほどなく廃刊、『月刊宝島』と名前を変えて夭折してしまう。悲しかった・・・・私の人格の一部を形成した偉大な雑誌だったのに。
それから何年もの月日が流れ・・・・私は大学4年になっていた。 のらりくらりとネットをさまよっていて、偶然発見したのが『HiPPONLINE SUPER!』というサイト。なんとそれはかつてのHiPPON愛読者が集うサイトだったのだ!そこの愛読者登録のリストには憧れていた常連さんの名前の数々!な、懐かしい!! その中の一人は当時北海道の学生さん(女)だったのだが、なんと今は結婚して、仙台人。そして1歳の娘さんと、今お腹にもうひとり!うわ〜、時は流れてるのね〜!
まるで同窓会のようにしばらく感動。
実は私も、一度だけHiPPONに投稿が掲載されたことがある。コーナーはお笑いではなく、フリートーク。掲載された月の雑誌だけ、今も大事にとってある。それだけ、嬉しかったのである。恥ずかしくて読み返せないのだが、あえて読み返してみよう。
 1993年の6月号。表紙はなんとストリートファイターの春麗の格好をした水野美紀。当時19歳。彼女はスト2のCMに当時出ていたからねえ。 ヘッドラインニュースでは「スーパーマリオ」映画化が取り上げられています。おー見た見た。 問題のフリートークのページ。私の投稿は3通目に紹介されている。以下引用。
『給食に出たゼリーの紙スプーンに「紙にやさしい紙スプーンです」と書いてあった。紙使ってんだから、エコロジーじゃねーだろーが!!<中略>(宮城県・貞本巧 13歳)』
なんて言うか、よくこんなモノが載ったなあという感慨すら感じられる作品ですが、誰だ貞本巧って、というツッコミ、ありがとうございます。ちなみに今号の最年少掲載者となっております。13歳。なんせ給食ですから。 『貞本巧』っちゅーのは、私自身よく分からないネーミングだが、おそらく『貞本義行』から名字を頂戴したのだと思われる。貞本義行はあのエヴァンゲリオンのキャラクターデザインをした人ですな。この当時すでに『ふしぎの海のナディア』で有名になっていたので、どうやら憧れていたらしい。『巧』の方は、男でも女でもどっちでもいいような名前と思って付けた気がする。なんせ9年も前なので覚えていません。
この頃は「パソコン通信」が限られたマニアのものだった時代なので、もっぱら紙媒体のやりとりだったんだなーと、ちょっと懐かしくなる。投稿してから掲載までのブランクとか、のんびりした時代だったなあと。今とくらべると、雑誌の相対価値は高かったなあと。載った時の感動もね、格別のものがありました。
また『HiPPON』くらい多大に影響を受ける雑誌と出会えたらいいなーと改めて思った今日でした。
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