彩紀の戯言
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「某俳優重症」の事件を知ったのは当日の深夜。 「自殺?」という文字がデカデカと表示されてもなんとなく納得できなくて 落っこちちゃった(事故)んぢゃないの?と考えながら床につく。
まず、私が思っている彼の性格に「自ら」という文字があてはまらない。 もちろん、数年の間に変わってしまった可能性だってあるのだから、 自ら死を選んだとは思いたくなかっただけなのかもしれないけど…。
翌日、事務所側が「不注意による事故」と発表し、それを100%信じられるほど 私は若くないのだけれど、本人の口から語られるまでそう思うことにした…。
就職1年目。元同級生が自ら死を選んだ。 「死ぬ気になればなんでもできるのに…」や 「近くにいた人が気の毒だね…」などと、他の同級生と話した記憶がある。
数年前。遠い親戚が自ら死を選択した。 残された家族を目の当たりにし、やはり思った。「家族が気の毒だ」と。 そして「死ぬ気になればなんでもできたのに…」と、同じ事を考えた。
残された家族や友人は「なぜ、止められなかったんだろう?なぜ、相談してくれなかったの?」と 自分を責めるだろうと考えたし、弔問客への説明が真実であってもそうでなくても 事実が事実である限り、より辛いことに変わりはない、と思った。
「死ぬ気になれば…」というのは、今の生活から逃げ出すために死を選択したと 思い込んでいたため、発した言葉。 そんなに辛いのなら学校や職場を辞めて新しい生活を始めれば良かったのに、そう思った。
今だったら。 万が一、自ら死を選択した知人がいたとしても同じようには考えないような気がする。 もちろんそれは許されることではないと思っているけど、 「逃げる(←例えですが)」ために死を選んだ訳じゃないかもしれない、と最近考えるようになったから。
「だるい…」「つまらない…」「動きたくない…」「食べたくない…」
「何もしたくない…」 ・ ・ ・ ・ 「生きていたくない…」
正直言って楽天家の私には想像もつかない状態だけれど、少なくないと聞いている。 原因がある場合もあるだろうし、ない場合もあるだろう。 メンタルな部分がとてもとても病んでしまったとき。 自己制御なんてできるのだろうか?思考回路は働くのだろうか?
こういった場合、突発的に実行してしまう人がほとんどだと思う。 家族や友人、新しい生活も含めて「死」意外のことを考えられる状態だったら 自分を殺すことはしないんじゃないだろうか?
本人も周りも辛かっただろうね…。たぶん、今ならそう言うと思う。
もう病死してしまったけれど、一時的に心が病んで、 「あのとき恐くて自ら死ねなかった」と後に告白した人がいた。 死を選ばなかった理由は「恐怖」であり、 別の理由ではなかったことを知ってしまったとしても、 思いとどまってくれたのだから、と家族は思うことにしたとか…。
もしその時代に、今みたいに「心療内科」というソフトなネーミングの扉があったら…。
そして、今はちょっとだけ開けやすい扉があるのだから… 心の枷を弛めて…悲しい選択をする人が少しでも減ればいいな、と思う。
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