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思ったことの半分も出来ていない。 いつか立ち止まらなくては、と思いつつ 時間の少なさを言い訳に流されてしまうことが多い。 自分を表現する術を忘れてしまったのかもしれない。
**************************************************************** 10月最後の日曜、神宮球場へ行った。 いつもながらの母校の野球応援。 秋の都大会、準決勝。ここで勝てば春の選抜出場が決まる。 相手の高校は、実力校だが決して強い相手ではなかった。
けれど、今回も敗退。 「あと一つ勝てば甲子園」という試合はこれまで数多見てきたが、 結局「そこ」へ行けたのは高校2年生の時、ただ1回。 いつも感じるやりきれなさを胸に球場をあとにしながら、 僕は10年前のある一つの記憶に思いを馳せていた。
「あと一つ」を最初に体験したのは、僕がまだ中学1年生だった 10年前の秋の都大会。それは同じ球場で、そして同じ相手で、 奇しくも同じスコア、10対14での敗退だった。
思えば野球の応援を初めて経験したのは10年前のこの大会だった。 入部してホルンを吹き始めてまだ半年足らず、1年前はランドセルを 背負っていた僕にとって、高校野球など遠い世界の話でしかなかった。
けれど、見よう見まねで応援演奏をするうちあれよあれよというまに 勝ち上がっていく母校の野球部を見て、いつの間にかその虜に なっていた。
10年前の都大会準決勝は、10月最後の土曜日午後の試合で、 授業を終えた生徒たちが球場に詰め掛けていた。 天気は悪くグラウンド状態も不良。 試合開始は午後1時で、空にはどんよりとした 雲がかかっており、時折雨もぱらつく最悪のコンディション。
点の取り合いシーソーゲームで、大量リードを許しながらも しぶとく追いつき、まだまだこれからというところで試合は 終盤に入った。
と、主審がネット裏に声をかけた。 なにやら話し合った後、ゲームセットがコールされる。 無念の7回日没コールド。
当時、その球場には照明設備が無く、試合の続行は不可能とされた。 とても悔しかったけれど、その時の思い出は確かにそれからの 僕の一つの原点になった。そんな忘れられない試合だった。
****************************************************************** 11月初めの連休には箱根へ旅行した。 ふとした言葉をきっかけに同期を誘ってみたのだが、 結果「誘う」というにはあまりに多すぎる26人が集まり、 レンタカー7台での大旅行となった。
これまで何かと雨の多かった同期の行事では、 初めてとも言える抜けるような秋の青空に恵まれた。 頂上に少し雲はかぶっていたけれど見事な富士山 を望むことが出来たし、黄色や赤に色づいた木の葉が 織り成す山の斜面に見とれてわき見運転をすることも しばしばだった。
これまで、意識的に車による「旅行」を避け鉄道と船による 「一人旅」ばかりしてきた僕が、人を誘って旅行を企画 するというのはそれなりに「ちから」の要ることだった。
僕にとって今年の夏と秋のグループ旅行はずいぶんと新鮮だった。 この旅行を通して「グループ旅行」も楽しいとは実感した。 けれど、やはり僕は一人で旅をするほうが向いているのでは ないかと、改めて思った。 今は自分の状況が、それを許してくれないけれども、 機会があればまた、のんびりと一人で旅に出たい。
****************************************************************** 「結婚」や「恋愛」などといった話題を軽やかに発しつつ、 その内容に大して拘泥されない人々を、僕は好きではないけれども、 少しばかりうらやましくも思う。 僕はもう、価値判断に基づく自分の意見を言うことが 出来なくなってしまったのかもしれないとも思う。
「経験的なことを言うなら、人が何かを強く求めるとき、 それはまずやってこない。人がなにかを懸命に避けようと するとき、それは向こうから自然にやってくる。 もちろんこれは一般論に過ぎないわけだけれどね」 (村上春樹『海辺のカフカ』)
先ほど寮のロビーでケーキを食べながらのしばし雑談。 そのとき「逃げるより追え」という言葉を紹介した 同期に対して、僕は真っ先に上の一節が浮かんだ。 僕が後ろ向きな考えしか出来ないからそう思ったのだろうか。
おいしいケーキをどうもありがとう。
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