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2002年07月14日(日) 北極星の「無力」さ

7月に入り、熱帯を思わせるヒートアイランドの
一角のビルの中で、言われるがままに、
他者を「数字」という断面で極限まで分析し
その信用度を判断する、という慣れない仕事をして、
肉体的に、何より精神的に疲労が蓄積していた。

昨日、日光男体山に登ってきた。
登山はなかなかハードだったけれど、
涼しい空気が体に心地よく、
頂上から眺める中禅寺湖は美しかった。
久しぶりのドライブもまた格別だった。

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夏がやってきた。

一年前の日記にも記したとおり、中学時代から、
利用する乗換駅のコンコースで地元の幼稚園が寄贈した
短冊飾りを目にする時、僕は夏の訪れを感じてきた。

偶然、社会人になってもその駅を利用することになったために
先日の七夕前に、いつもと変わらないその笹飾りを見かけた。
ただ、これまでと少し違ったのは、これまではその場に
少し立ち止まって他人の書いた願い事を目にしては、
ほくそえんでいたりしたのに、今年は混雑した朝のラッシュ時に
いまだ慣れないスーツ姿でその場を通り過ぎながら、
目をやるだけだった。

これまでと変わらず夏はやってきたけれど、
僕の生活は、これまでとは少し変わったものになってしまった。

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先日観た映画で韓国の街並みを目にしたり、
フランス革命記念日の今日、パレードが行われたパリの街の
映像に映る凱旋門を見たりと、
断片的に各国の風景を目にするたびに卒業前の旅を思い出す。
もうあれら風景に立ってから4ヶ月が経とうとしている。

前を見据えて足取り確かに歩いている周囲の人々を見ては
少し後ろを振り返りすぎの自分に気づき焦りを感じることが多い。

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「言葉」は意思疎通のツールの一つに過ぎないのだろうか。

僕は言葉の持つ意味性を強く信頼している。
他人の発した言葉に対しては真摯に向き合い、
自らの発する言葉には強い責任を感じている。

他者に対して優しくあること、寛容であること、
そんなことは自己満足にしか過ぎないのかもしれない。
時にはその「無力」さを感じ、自信を失いかけるときもあるけれど、
それでも僕はそうありたいと強く思う。

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学問的真理の「無力」さは、北極星の「無力」さと似ている。北極星は
個別的に道に迷った旅人に手をさしのべて、導いてはくれない。それを
北極星に期待するのは、期待過剰というものである。しかし北極星はい
かなる旅人にも、つねに基本的方角を示すしるしとなる。(自分に敵意
をもった人も、好意をもつ人にも差別なしに。)旅人は、自らの智恵と
勇気をもって、自らの決断によって、したがって自らの責任において、
自己の途をえらびとるのである。北極星はそのときはじめて「指針」と
して彼を助けるだろう。「無力」のゆえに学問を捨て、軽蔑するものは
、一日も早く盲目的な行動の世界に、感覚(手さぐり)だけに頼る旅程
に投びこむが良い。
(丸山眞男『自己内対話』)


大学時代にこの本を紹介してくれた友人には感謝の念に絶えない。


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