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7月に入り、熱帯を思わせるヒートアイランドの 一角のビルの中で、言われるがままに、 他者を「数字」という断面で極限まで分析し その信用度を判断する、という慣れない仕事をして、 肉体的に、何より精神的に疲労が蓄積していた。
昨日、日光男体山に登ってきた。 登山はなかなかハードだったけれど、 涼しい空気が体に心地よく、 頂上から眺める中禅寺湖は美しかった。 久しぶりのドライブもまた格別だった。
**************************************************************** 夏がやってきた。
一年前の日記にも記したとおり、中学時代から、 利用する乗換駅のコンコースで地元の幼稚園が寄贈した 短冊飾りを目にする時、僕は夏の訪れを感じてきた。
偶然、社会人になってもその駅を利用することになったために 先日の七夕前に、いつもと変わらないその笹飾りを見かけた。 ただ、これまでと少し違ったのは、これまではその場に 少し立ち止まって他人の書いた願い事を目にしては、 ほくそえんでいたりしたのに、今年は混雑した朝のラッシュ時に いまだ慣れないスーツ姿でその場を通り過ぎながら、 目をやるだけだった。
これまでと変わらず夏はやってきたけれど、 僕の生活は、これまでとは少し変わったものになってしまった。
**************************************************************** 先日観た映画で韓国の街並みを目にしたり、 フランス革命記念日の今日、パレードが行われたパリの街の 映像に映る凱旋門を見たりと、 断片的に各国の風景を目にするたびに卒業前の旅を思い出す。 もうあれら風景に立ってから4ヶ月が経とうとしている。
前を見据えて足取り確かに歩いている周囲の人々を見ては 少し後ろを振り返りすぎの自分に気づき焦りを感じることが多い。
**************************************************************** 「言葉」は意思疎通のツールの一つに過ぎないのだろうか。
僕は言葉の持つ意味性を強く信頼している。 他人の発した言葉に対しては真摯に向き合い、 自らの発する言葉には強い責任を感じている。
他者に対して優しくあること、寛容であること、 そんなことは自己満足にしか過ぎないのかもしれない。 時にはその「無力」さを感じ、自信を失いかけるときもあるけれど、 それでも僕はそうありたいと強く思う。
**************************************************************** 学問的真理の「無力」さは、北極星の「無力」さと似ている。北極星は 個別的に道に迷った旅人に手をさしのべて、導いてはくれない。それを 北極星に期待するのは、期待過剰というものである。しかし北極星はい かなる旅人にも、つねに基本的方角を示すしるしとなる。(自分に敵意 をもった人も、好意をもつ人にも差別なしに。)旅人は、自らの智恵と 勇気をもって、自らの決断によって、したがって自らの責任において、 自己の途をえらびとるのである。北極星はそのときはじめて「指針」と して彼を助けるだろう。「無力」のゆえに学問を捨て、軽蔑するものは 、一日も早く盲目的な行動の世界に、感覚(手さぐり)だけに頼る旅程 に投びこむが良い。 (丸山眞男『自己内対話』)
大学時代にこの本を紹介してくれた友人には感謝の念に絶えない。
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