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2000年09月25日(月) |
「サヨナラ」ダケガジンセイダ |
今日は4限、5限とゼミが続いた。 どちらも夏休み明け最初のゼミ。
4限のゼミは日本経済史のゼミ。 同じ学年には僕のほかに女の子一人しかいない、 総勢2人のなんとも小さなゼミ。このゼミは単位に関係ないが、 自分の興味がある分野のなので、自主的に参加している。 うちの大学は日本一楽な大学と言われ、確かに実際に授業に 出る人は少ないが、単位とは関係なくこういう風に自主的に 講義に出る(通称モグリ)人が案外多い。
今日は18世紀後期の本居宣長を中心とした国学について。 経済史とは直接の関係はないが、同じ空間に存在した思想と いうのは、人々の社会、経済を知る上で有益であると思う。 巨人が優勝(してしまった)の為、巨人のファンの先生の機嫌がよく、 口もなめらかで、わかりやすかった。 中学や高校でわけもわからず丸暗記した事柄が 大学の講義で意味付けられることは多い。 そのたびにあのテスト勉強も無駄ではなかったんだなあ と思わさせる。
*********************************************** 5限は国際政治学の自主ゼミ。これも課外で単位は関係ない。 さらに国際政治学なんてはっきり言って興味ない。(・・・いいのかな) なのに、ここに出ているのは韓国のヨンセイ大学との年2回の 交流プログラムがあるから。通称「ワセヨン(Wase-Yon)」。 ちなみに僕のネット上の名前「おじゅん」はこのワセヨンで つけられたあだ名。「おじゅん」というのは韓国の有名なタレントで どうやら僕は彼に半端じゃなくそっくりらしい。 声まで似ているらしい・・・。 この前メールで画像まで送られてきた。感想は・・・。 会う韓国人、皆に言われ、挙句、この夏の旅先のユースで 出会った韓国人にまで言われた。先輩達からは 「お前、韓国行って人生やり直してこいよ」といわれる。 最近、真剣に考え始めている。
(ここまで読んだくれた人、ありがとう。 おじゅんの名前の由来を知っているのはあなた方だけです)
とにかく、5限にこのゼミがあり、後期の進行について話しあう。 その後、夕食を食べに行く。ゼミで会うのも久々。 居酒屋に行った別グループの方にも顔を出す。 野球のマニアックなトークをしている。 横浜の斎藤隆のスライダーのキレについて。 なんのこっちゃ? 23時頃、帰宅。
******************************************************** 出会いと別れ、おっと、別にこれは恋愛に限った話ではないです。
人は死ぬとき、結局は一人で死ぬ。 生まれるときも一人。
時が経つにつれ、たくさんの人と遭遇し、出会い、別れる。 僕はこうした人生における出会いと別れに関して、かなり明確な イメージを持っている。
スタートとゴールはみんな異なる。けれど、進む方向は同じ。 真っ暗な空間を一人で進む。そしてその空間に道などない。
だから、みんな彷徨う。 暗闇をまっすぐ歩ける人などいない。 そして、様々な人と出会う。 その出会いが一瞬のものもあれば、長く続くものもある。 ゴールの寸前まで一緒に進む人と出会うこともある。 進む方向が似ていながら、わずか一度の方角のズレのために 長く進むにつれて、距離が広がっていくこともある。
こうして長い旅路を終え、人は一人でゴールする。
「一期一会」とはよく言ったものだ。 人は別れる時、その別れがどんなものであるにせよ、悲しむ。 しかし、人は出会ったときから別れることが必然なんだと思う。 出会いと別れの数は等しい。出会いは別れを内包している。 だから「別れ」が悲しいことなのではなくて、「出会い」の方が 悲しいことなのかもしれない。 出会ってしまうことは不幸なのかも知れない。
けれど、それでも人は出会いを求める。 「別れ」の辛さには目をつぶって。
誰もが共感せずにいられない「『サヨナラ』ダケガジンセイダ」 という名訳を残した井伏鱒二は、人生において、 どんな「サヨナラ」を積み重ねたのだろう。
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