エンターテイメント日誌

2006年01月26日(木) ジェイン・オースティンの高慢と偏見

映画「プライドと偏見」を観た。う〜ん、評価はB- 位だなぁ。

確かによく出来た映画である。文芸ものとしての風格がある。狭い室内における自由自在なカメラワークとか、巧みな編集とか演出(監督は新人)も素晴らしい。しかし、物語の骨格自体に問題がある。

原作はジェイン・オースティンのPride and Prejudice(高慢と偏見)であり、タイトル自体が同じオースティンの Sense and Sensibility (分別と多感)と対を成している。Sense and Sensibilityは今「ブロークバック・マウンテン」で話題沸騰のアン・リーが監督して映画になり、日本では「いつか晴れた日に」という邦題で公開された。これは名作であった。

「プライドと偏見」を観ていて、しばしば既視感に襲われた。実に内容がSense and Sensibilityに似通っているのである。結婚適齢期の娘しかいない家庭。女には財産相続権がないので、金持ちの男を捕まえることが出来るかどうかにその家自体が没落するか存続出来るかの命運が掛かっている。ある日主人公の前に白馬の王子様が現れるが、気高い主人公はその男に反感を感じ・・・紆余曲折はあるけれど最後はめでたしめでたし。全く同じである。金太郎飴みたいなもんだ。

ヒロインの考え方にも大いなる疑問を抱いた。白馬の王子様が結婚を申し込む。しかし、彼がヒロインの母親と妹たちが下品であると侮辱したことを怒り、彼女は断る。ところがである。物語の後半、彼女は自分が間違っていた、彼に対して偏見を抱いていたと反省し、彼を愛するようになる。・・・おいおい、そりゃ変じゃない?ヒロインは間違ってないよ。彼が侮辱したことは事実なんだし、彼が後半態度を改めるのも、ひとえに彼女と結婚したいからだけだろ?その目的のためには本心を曲げて、自分の親友を犠牲にしてもいいと、そういうことだろ?それがあの男の本質じゃないか。全く納得いかない。正に恋は盲目である。

それから姉妹ばかりで次女が勝ち気という設定はオルコットの「若草物語」を彷彿とさせる。出版年は「高慢と偏見」の方が先なので、恐らくオルコットがこの小説を参考にしたのだろう。

この映画で何に目が釘付けだったかと言えば、ヒロインを演じたキーラ・ナイトレイの胸元である。豊満だからではない、むしろその逆だ。胸がない!まるでまな板みたいだ。本人も気にしているそうだが、ありゃ深刻だわ。本作一番の見所は実はこれかも知れない。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]