エンターテイメント日誌

2004年02月17日(火) 京極の夏、伊右衛門の夏

今年直木賞を受賞した京極夏彦の小説はいわゆる<京極堂シリーズ>を三作品読んだ。「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」そして「鉄鼠の檻」である。とにかくどれも長大なミステリーである。そして作中で語られる京極堂の饒舌な蘊蓄で、読者は煙に巻かれる。まあ、それが時にはウンザリしたりもするのだが、その論旨の核心は「この世には不思議なことなど何もないのだよ。」という一言に集約されるだろう。

その京極堂の台詞は「嗤う伊右衛門」の主題にも当てはまる。この作品は鶴屋南北の書いた歌舞伎「東海道四谷怪談」を京極流に新解釈したというか、いわば四谷怪談の解体である。極悪人の伊右衛門、そしておどろおどろした怪談のお岩像を覆し、寡黙で実直な浪人・伊右衛門と、単なる異形の人としてのお岩の純愛物語として再構築しているのである。この解釈がなかなか現代的で斬新である。

その原作を得て今回映画化したのが舞台演出家として世界的に名高い蜷川幸雄である。実は蜷川が四谷怪談を映画化するのはこれが初めてではない。1981年に「魔性の夏 四谷怪談より」という作品を世に出している。まだ映画を3本しか撮っていないのに、そのうち2作品が四谷怪談ものというのも凄い占有率である。それだけ思い入れがあるのだろう。しかし今回はその情熱が空回りしたとしか言いようのない残念な出来映えであった。

役者は良い。お岩を演じる小雪は背筋が伸びで凛とした佇まいで魅力的だ。伊右衛門を演じる唐沢寿明も普段の明るい彼のイメージとは正反対の寡黙な役を見事に演じきっている。しかし、だ。まず京極の小説を脚色した筒井ともみのシナリオがいけない。お岩とか伊右衛門など登場人物の心の動きが全く分からない。何故そういう行動に走るのかの心理描写が全く出来ていないのである。だからその強引な物語展開についていけない。演劇的なはったりに富んだ蜷川演出もこの作品世界に相応しくないし、特に血糊がベチョッ!内臓がドバッ!と飛び出すえぐい描写は悪趣味としか想えなかった。映画館で僕の周囲に座っている女性客が明らかに引いているのが肌で感じられた。昨年蜷川が監督した映画「青の炎」が大傑作で、今回も期待していただけに落胆も大きい。宇崎竜童の音楽も確かに立派ではあったがどうも徹頭徹尾、違和感が付きまとった。という訳で評価はC-。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]