エンターテイメント日誌

2003年04月12日(土) <青の炎>あるいは、青春の殺人者

貴志祐介が日本ホラー小説大賞を獲った「黒い家」は掛け値なしの傑作であった。しかし僕は貴志の小説でどれが一番好きかと問われたら文句なしに「青の炎」を挙げる。その鮮烈なイメージ、繊細な主人公の心理描写。どれをとっても超一級品だ。

「黒い家」は森田芳光が映画化したが、これは原作には及びもつかぬ出来損ないで落胆した。特にあの小説の真の怖さは殺人鬼が脳の障害で<感情がない>ところにあるのに、映画では詰まらない幼少時のトラウマを設定して、それが映画全体を駄目にした。だから正直、舞台の鬼・蜷川幸雄が21年ぶりにメガホンを取った「青の炎」の出来も心配していたのだが、映画を観終えた現在、それが杞憂に終わったことを心から悦びたい。

まず脚本が素晴らしい。原作のイメージを全く損ねることなく、コンパクトにまとめあげている。そらから僕は原作を読んでいる時は全く気がつかなかったのだが、映画ではパトリシア・ハイスミス原作の映画「太陽がいっぱい」や、そのリメイクである「リプリー」を意識した仕上がりとなっている。主役の二宮和也クンはアラン・ドロンでありマット・ディモンなのだ。「太陽がいっぱい」や「リプリー」において主人公のリプリーと、友人のフィリップは同性愛的に描かれているが、「青の炎」の主人公と彼に殺される親友の関係もあたかもそれを匂わすような演出が施されている。特にコンビニでのふたりのやりとりは明らかにフェラチオを連想させるように仕組まれていたので、蜷川監督のその大胆な発想には驚かされた。

蜷川さんは舞台においてジャニーズとの付き合いが長いから、どのようにすればジャニーズ・ファンが狂喜するか、そのツボを良く心得ている。だからこの映画での二宮クンはあくまでセクシーだ。不必要なまでに半裸の姿を晒したり、シャワーのあとで髪を濡らしたまま現れたり、彼のファンはもうクラクラだろう(笑)。彼の演技も見事であった。傷つきやすく純真な<青春の殺人者>がそこに生きているという確実な存在感があった。

この映画で世間から一番批判を浴びているのはヒロインを演じる'あやや'こと松浦亜弥である。確かに彼女の演技は拙いが、僕はこのヒロインに関してはお人形さんみたいに可愛いだけで良いと想っているのであややはイメージにピッタリだった。ただし、ラストの長回しによる彼女のアップは、演技力がないだけに間が持たず、少々辛かったかなぁ。蜷川さんも酷なひとだ。

映画全体に通底する青のイメージも良い。なかなか印象的なショットも多く、特に主人公がロードレーサーに乗って鎌倉の街を疾走する場面が素晴らしい。撮影を担当した藤石修の功績である。

残念なことにこの映画は興行的には当たっていないようである。しかし、間違いなく本作は今年の邦画の大きな収穫であり、青春映画の傑作だ。ロードショーが終わらないうちに映画館へ急げ!


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]