2002年11月17日(日) |
映画<ハリー・ポッターと秘密の部屋>雑感 |
先行オールナイトの日、シネマ・コンプレックスにて鑑賞。いや〜、さすがに凄い人だった。
映画自体は非常にウェルメイドなエンターテイメント作品に仕上がっており、たとえば「風と共に去りぬ」や「ドクトル・ジバゴ」など文芸大作を観る感覚で、安心して愉しめた。まあ、煩(うるさ)い原作者や原作ファンの厳しい監視下で、原作に忠実であることを運命づけられているこの手の作品としては上出来であり、これ以上のものを望むのはないものねだりというものだろう。主役の三人は全く違和感なく、このキャスティングは大成功の一言だなと改めて感心することしきりであった。ハーマイオニー役のエマ・ワトソンは本当に美しい娘に成長した。また新キャラクターであるドビーもなかなか表情豊かで愛嬌がある。CGの進歩は目覚ましい。ロックハート先生役のケネス・ブラナーも意外な好演であったが、僕としては最初にオファーされていたヒュー・グラントが演じた方がさらに面白くはまり役だったろうなと、この点は返す返すも残念である。
この作品は子供たちも沢山見るのであろうが、第一作が2時間半、今回の第二作が2時間40分と次第に上映時間が長くなっているのは気になるところである。今回が小中学生に耐えられるギリギリの線ではなかろうか?第四作の「炎のゴブレット」なんか、原作は二冊組とボリューム・アップしているけれど、どう処置する気だろう?あくまで原作に忠実という方針を貫く限り、途中に休憩を挿入し「風と共に去りぬ」並に三時間半程度にしないと無理なのではなかろうか?破綻をきたすのは目に見えている。
ところで今回、ハリーと敵対するヴァルデモードが魔法使いの母とマグル(人間)の父から生まれ、マグルを心の底から憎んでいたことが明らかにされるのであるが、嗚呼、成る程と唸った。つまりヴァルデモードはヒトラーをモデルにしているのであろう。
ヒトラーにユダヤ人の血が流れているという噂は以前からあり、それに基づいて手塚治虫は大傑作漫画「アドルフに告ぐ」を書いている。つまり純血至上主義でマグルの<汚れた血>を憎むスリザリン寮の面々はナチスを象徴し、彼らから迫害を受けマグルの両親を持つハーマイオニーは<ユダヤ人(例えばアンネ・フランク)>を象徴しているのだろう。その証拠に、スリザリン寮のドラコ・マルフォイとスリザリン卒業生であるその父は、金髪碧眼のゲルマン系の顔立ちをしている。一見、単純明快なファンタジー小説の外見を持ちながら、こういう深い奥行きのあるハリー・ポッター・シリーズ、なかなか侮れない。
しかし、第一作でも感じたことなのだが、クィディッチというスポーツのルールには僕はどうしても納得がいかない。だって試合の点差にかかわらず、結局シーカーがスニッチを捕まえた瞬間に、その側の勝利で試合は終了するというのはいくらなんでも無茶苦茶でしょう?各チーム7人づついる選手のうち、外の6人の実力・努力なんか全く関係なく、シーカーの働きひとつでゲームが決まってしまうんだから(実際どの試合もグリフィンドール寮チームが負けていて、最後にハリーがスニッチを捕まえて逆転勝ちしている)。
このゲームの模様を観るたびにTVのクイズ番組を想い出す。一問正解で10点獲得のルールで番組は進行する。そして司会者が言う、 「さあ、最後の問題です。この問題を正解した人には特別に100点を差し上げましょう!」 番組を盛り上げるための常套手段。つまりそれまでの成果は問われず、結局最後の問題を解答した人が勝者なのである。 はっきり言おう。原作者のJK.ローリングって、実はスポーツ音痴じゃないの?
最後に、この映画でダンブルドア校長を演じたチャード・ハリスは先日亡くなりこれが遺作となった。いくつかの映画の感想文で「確かに今回のハリスには生気が無かった。」とか、したり顔で書いている人がいるが、実際に映画を見て失笑。ハリスは第一作目から今回同様ヨボヨボの老人だったし、そんなこと分かる筈がない。そういうのを<コロンブスの卵>って言うんですよ(^^;。
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