分析するという事。 |
物事を分析して、その特徴や傾向をつかむことが、
ココロの世界において、どれだけの役に立つというんだろう。
今とても苦しくて、悩んでいることがあって、
どうしようもなく辛い、やりきれなくて悲しい思いをしている時。
『あなたの今の状況は〜だから、そう思ってしまっている。
それは〜という事であって、〜ではないから悩む必要はない。』
そう言われて、その人のココロの何が解決するというのだろう。
叫びたがっているココロが、おとなしくなってくれるというのだろうか。
どんなに正当な理由があったって、正当な理由がなくたって、
今、ココロは傷ついて涙を流しているんだ。
そんな時にその分析力がなんの役に立つというのだろう。
頭の中で考えただけのその結論は、確かに正論と呼ばれるに値する。
そう考えることが出来れば、どんなにか楽になるだろう。
だから人はそれに頼ろうとする。
それを聞くと一時的には楽になる。
『そうなんだ、そう考えればいいんだ。』
数学の答えが合っていた時のように、すっきりするだろう。
しかし、その麻薬は長くは続かない。
ココロは何一つ納得していない。
今でも涙を流し続けている。
数学の答えでは、ココロは納得してはくれない。
その場しのぎの解決方法では、楽になりっこない。
ココロは悲しんでいる、苦しいと言っている。
だったらそのココロに寄り添って、一緒に苦しんであげればいい。
いつか泣き疲れて眠る頃に、薄いベールがはがれるだろう。
分かったようなセリフで、自分を納得させなくていい。
他にどんな正当な理由が存在していようとも、
苦しいと感じた自分のココロが、本当の理由。
分析家から見れば悩まなくていいような問題に、悩んでしまうことがある。
それでいいんだ。
それをごまかさないで、受け入れていけばいいんだ。
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2004年02月02日(月)
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