確かに存在していた証拠。 |
留守番電話にいくつか録音が残っていた。
もうそろそろ消しておかないと、いっぱいになっちゃうかもと思って、
順番に再生してみた。
ふと、流れてきた聞き覚えのある声。
去年の秋に亡くなった、おじいちゃんの声だった。
一緒にご飯を食べに行ったりする、50歳も歳の離れた『友だち』だった。
私はおじいちゃんの名前の頭文字をとって『○○ちゃん』と呼んでいた。
気持ちは若い人だったおじいちゃんも、そう呼ばれる事を喜んでいた。
おじいちゃんは歳とともに足が痛くなってしまっていたが、
その他は私よりも元気で、よく食べる人だった。
おじいちゃんには子供がおらず、自分の兄弟の子供を養子にもらった。
その息子夫婦と孫と同居していたが、家庭は冷え切っていた。
おじいちゃんは、ご飯を食べるのも寝るのもいつも一人。
ご飯も一応嫁が作ってくれていたが、とても質素なものだった。
それなのにその家の生活費はほとんどおじいちゃんが出していた。
偏屈で変わったところもあるおじいちゃんだけど、
お人よしで、すぐ人にお金を貸してしまうだまされやすい人でもあった。
そして、だまされた事が分かっても『仕方ない』と言って怒らない。
いつも背広で、いつまでも恋をしているようなそんな人だった。
おじいちゃんは誰にも気付かれずに、朝亡くなっていたらしい。
前日に具合が悪いと言っていたのに、家族は何をしていたのか。
最後に会ったのは、亡くなる少し前に入院していた時。
お見舞いに行って話をし、握手をして別れた。
急いでいた私は、あまり相手をしてあげられなかったと思う。
その後退院して、元気にしていると聞いていたのに・・・。
養子になった息子も嫁も、孫たちもとてもとても冷たかった。
一緒の家にいるのに、顔も見ない、口も聞かない家族だった。
嫁がおじいちゃんの知り合いが来ることを嫌がるので、お葬式には行かなかった。
ふだん、おじいちゃん知り合いが家に遊びに行くと、
『とっとと帰れ!』と部屋の外で怒鳴るような嫁だった。
おじいちゃんが亡くなったと聞いた時、とても驚いたけど涙は出なかった。
実感も無かったし、お葬式にも行かなかったし。
でも、留守番電話に残されているおじいちゃんの声を聞いた時、
もうおじいちゃんはいないんだという事を改めて思って涙が出た。
そして、おじいちゃんは確かに生きていたという思いもこみ上げてきた。
亡くなった人は、消えてしまうんじゃないんだ。
今もきっとそこにいるんだ。私たちが忘れたら悲しむんだ。
時折、おじいちゃんに話しかけてあげなくちゃいけないな。
おじいちゃんの形見は、買ったけど使わないからって私にくれた、
通販で買った、身体を鍛えるための健康器具。
おじいちゃんらしいや。(^^)
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2004年02月01日(日)
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