東京の片隅から
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東京五輪サーフィン会場と言われている千葉県一宮町の釣ヶ崎海岸(志田下)が、子供のころ行っていた海だと判明。
あの近くに、といっても山沿いなので海まで30分以上歩くのだが、母方の親戚一同が「いなか」と呼ぶ家が有り、幼稚園〜小学校中学年くらいまで母方の親戚で夏はそこに行っていた。「いなか」と言っても誰かが常住したこともなく、山の斜面を切り開いた広い段に空き家が2軒。夏しか行かないから家以外の空間はすべて草ぼうぼうで、到着すると総出で草刈りするのがいつものスケジュールだった。 どういう経緯であそこが「いなか」と呼ばれるようになったのかは不明である。母方の祖母のルーツが千葉にあるらしいので、相続か身内間での売買で入手したのか、今となっては謎。前の戦争の後、次にまた戦争があったときの疎開用にと入手したのかもしれない。 トイレは母屋と別棟で汲み取り式だし中には大きなジョロウグモが巣を作ってるし庭は誰も手入れしないから虫と雑草だらけだし、東京の街中で育った割りにはいとこ一同免疫が出来ている。あんな大きなショウリョウバッタ、もうなかなか見ない。
志田下は、当時は崖上に一軒だけ海の家があり、そこから崖を下って砂浜に降りていた。あの海の家は志田さんと言ったのか。海の家では一度だけ?かき氷を食べた記憶がある。 インターネット地図で見ると当時滞在した家(いなか)から一番近い商店が志田商店。というか歩いて行かれる範囲にはその1軒しかない。家では絶対買わない(大家族だから袋ラーメンを大鍋で作るので)カップラーメンを買ってもらえる、素敵なお店であった。ほとんど海の家を利用しなかった割りに母は海の家のおばさんと親しく挨拶をしていたから、そこがやっていたのかもしれない。 今はもう浸食で崖も砂浜も海の家もないらしい。私が子どもの頃でも5〜6年の間でどんどん砂浜が狭くなっていたのは覚えている。
波がすごいのは昔からで、当時でもサーフィンの人はいた。 浜からすぐドン深で、そのちょっと先がちょっと浅くなっていて足が届く。男のいとこたちはそこまで泳いで行っていたが、泳ぎが苦手な私は浮き輪があってもそこまでは行かれなかった。 離岸流に流されたこともある。浮き輪を持っていたので、沖に流されるのではなく浜と平行に流されることを確認し、バタ足でゆっくり離岸流を横切って500m以上先で上陸した。親はふざけて遊んでいると思っていたらしい。だから海は苦手。
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