ヒトリゴト partIII
 Moritty



日本のゆくえ(つづき)

2008年01月15日(火)



最近「日本の翳り」について書かれている記事を多く目にする。株価やGDPや経済成長率などの数字にも顕著に表れているので反論の余地はあまりない。そして、金融業界では、世界の市場における東京市場の地盤沈下は明白だ。金融庁はなんとかして東京市場をアジアの金融センターにしようと必死なのはわかるのだけど、何をしていいか分からず慌てふためいているだけのように見える。もう手遅れのような気もするが、何もしないよりましなのかもしれない。東京市場の存在感が低下してしまっている理由はグローバル化の遅れが深く関係しているが、そもそもなぜグローバル化がこれほどまでに遅れてしまったのか。

一ヶ月以上前になるが、イギリスの経済紙"The Economist" の中折に日本の特集記事 Going Hybrid が掲載されていた。なかなか読む時間がなかったのだが、やっと読むことができた。5つの記事に分かれていてかなりの分量なのだけど、そんなには難しい英語ではないし、ネットで読めるので時間があったら読んでみる価値はあると思う。

Going Hybrid
Message in a bottle of sauce
Still work to be done
Not invented here
No country is an island
JapAnglo-Saxon capitalism

データも豊富だしかなり踏み込んだ内容でおもしろかった。記憶に新しいブルドックソース事件は、日本の限られたグローバル化のチャンスをつぶしてしまった。"Message in a bottle of sauce"では、ブルドックソース事件を例にあげて、日本の企業統治 (コーポレートガバナンス) が株主の方を向いておらず、言わずもがな、その結果ROE が欧米企業に比べて低いことを指摘している。また、昨年解禁された三角合併についても、こういった企業文化を考えると、その活用の可能性は疑問視される。

日本の法制度は、その柔軟性から、きわめて自由度が高くて「ゆるい」と言われている。しかし、法律を読む限りその行為が違法(または合法)とは読みにくいのに、法廷での判決は違法(合法)となったりする。ブルドック事件が良い例だ。一般の反応としては、みんなが大好きなブルドックソースが欧米のヘッジファンドなんかの餌食にならないで良かったね、といったものが多かったように思うが、TOBを仕掛けたスティールパートナーズにしてみれば、法律に則ったことを行ったのになぜ最後に裁判で負けなければいけなったのか理解に苦しんだであろう。そして、欧米勢の日本に対する投資意欲は一気に冷めた。この判決は、日本を守ったように見えて、実は貴重なグローバル化の機会をつぶしてしまったのだと思う。

日本は一体何を目指しているのか。日本は、海外に対する開放主義と極めて厳格な孤立主義の間をさまよってきた歴史がある。その不安定さが昨今のグローバル化への対応に表れているのではないか。記事では、このままでは日本はスイスのような国になる危険がある、と警告(?)を発している("Japan risks ending up like Switzerland.")。日本はアメリカ型の資本主義を目指してきたが、アメリカにはなりきれておらず、中途半端な資本主義国になっている。もっとアメリカよりの資本主義を目指さなければ、スイス、つまり、快適でぬるま湯のような、でも世界の動きとは無関係な("comfortable and complacent, but irrelevant")国になってしまう可能性がある、と記事は指摘する。

スイスのような国?それって悪くないのではないだろうか。世界情勢から切り離されて世界への影響力が弱まったとしても、快適な暮らしがあるのであればそれはそれでいいではないか、と思ったりもする。それも一つの選択肢だ。問題は国民が必ずしもそれを望んでいるわけではなく、ここで言う「スイスのような国」を目指しているわけではないことなのだと思う。では、一体何を目指しているのか。今の日本にはビジョンがなく(少なくともはっきりわからない)、それが問題なのだ。状況をきちんと把握し、いろいろな選択肢を議論したうえで、日本が、我々が今後何を目指していくのかをきちんと考えるべきだと思う。

日本は、4000年の歴史を持つ中国ですら実現できていない、革命で国を変えることができた国だ(それも2度も)。時代は変わったが、志を持っていればまだ可能性があるのだと信じたい。

<< >>
Latest Index Comment Home

-->