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■■ 心の錯覚
2004年01月26日(月)

偏頭痛がしたりして、あまり体調が良くないせいかもしれないけれど、とても落ち込んでいる。身体がよろけて、何かにつかまろうと思って手を伸ばしたら、つかまるものがないと気付いたときのような不安感が心の中に巣くっている。
人は、何かを失いかけて初めてその重要性に気付くことが多い。砂時計の砂は、たくさんあるときはそれが減っていることにすら気付かないけれども、残りが少なくなればなるほど、落ちる速度が増しているかのように砂の粒が減っていくのが目に見えて分かる。でも、実際は落ちる速度は常に同じで、少なくなるほど減るのが速く感じるのは見る者の錯覚に過ぎない。時間も同じだ。若い時は限りなくあるように思うが、残された時間が限りあるものだと気付いたとき、時間が過ぎ去っていく足音すら聞こえるように感じる。人も同じ。当たり前のように一緒にいる人が、どこかに行ってしまうとわかったとき、その人の存在、共に過ごす時間の貴重さに気付く。それほど大切なものなら、何故たくさんあるときから大切にしなかったかと後悔する愚かな生き物は人間だけなのではないか。自分では抱えきれずに、神に救いを求めてしまうほど弱い生き物は、人間だけなのではないか。全てのものに意味があるとしたら、人間の「愚かさ」と「弱さ」の意味というのは、一体何なのだろうか。
(写真:大船観音)
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