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『ザ・ギバー』は、徹底的に管理された理想郷である。 その与えられた「幸福」を疑うことがなければ、 「真実」を求めようとしなければ、 多くの人々にとっては、理想のコミュニティである。
『ザ・ギバー』と『約束された場所で』を続けて読んだのは、 全くの偶然だった。 読書感想文コンクールの高校の部の課題図書 ともなった児童文学「ザ・ギバー」と、 地下鉄サリン事件の被害者及び遺族の証言を集めた 『アンダーグラウンド』(著:村上春樹)に 続いて執筆されたノンフィクション、 『約束された場所で』には、そもそも関連はない。 しかし、続けざまに読んだこともあって、 そこに描かれている物語や、インタビューから、 「理想」とか「幸福」、「自由」あるいは、 「支配」という共通のキーワードが見えてくるような気がする。
『約束された場所で』は、雑誌には 「ポスト・アンダーグランウンド」というタイトルで 連載されていたそうである。 村上春樹氏によると『約束された場所で』という本のタイトルは アメリカの詩人マーク・ストランドの詩に感じるところが あった所以だそうだ。 ここで、私の思いがさまよっているのは、 「自由」とか「幸福」というのは、 いったい、どういうものなのか。 いったい、それはどこにあるのか。 そういう漠とした思いなので、 1997年3月の地下鉄サリン事件やオウム真理教団そのものについては ここでは触れない。 (『アンダーグラウンド』『約束された場所で』の両方を読んだことで、 さまざまな思いが湧き上がるが、それはまたいつか別の視点で 書き留めることができたらと思っている。)
『アンダーグラウンド』は、 地下鉄サリン事件の被害者及び遺族の証言を集めたものであった。 それに対して、『約束された場所で』は、 オウム真理教の信者(元信者)へのインタビューがメインとなっている。
唐突に話は飛ぶが、 結局、彼らは、オウム真理教に何を求めていたのだろうか? 『約束された場所で』を読みつつ、しみじみ考える。 そこは、「理想」のコミュニティだったのだろうか? 何かを求めて、そこに行ったはずだ。 あるいは、ここ、現世に失望して。 同じ思想・信仰・信条で結びついているコミュニティは ある者にとっては、素晴らしい環境であり、 生きていくことがとても楽な場であったようだ。 そういう理想郷を求めていたのに、 ある者にとっては、ここもまた一般社会の縮図で、 学歴や美醜のものいう社会であり、 理想の世界ではなかったようだ。
同じ教義のもと、精神的にかなり均質な狭いコミュニティにおいても 「理想」や「幸福」の捉え方は大きく違う。 (実際は、同じ教団内でも、割り当てられた仕事や場所、 能力、美貌によって、待遇や生活に大きな違いがあったようだが。)
精神的に、均質かつ等質であるということは、 自由なのか、ファッショなのか。 ますます、理想の社会、とか、 万人の幸福というのはわからない。
結局は、 スターガールも含め異質な者が混ざり合い、 理想を求める綱引きが常に行われている社会、 それが、フツーの社会で、 そういうフツーから、 いつか理想的なものが生まれる可能性があるのだろう。
けれど、それは、誰にとっての理想なのだろう?
さらに話は飛んで、 学生の頃聴いた、井上陽水のライブ放送で 彼は、優しさっていうのは、難しいと語った。 暴力はいけいないことだけど、 痛いことが好きな人には、それは優しさになるよねって。 おなじみの飄々とした口調で。
人によって、理想やら幸福やら世界観やらが違うから、 時に、理想主義者というのは恐ろしい。 話は大風呂敷になっていくけど、 結局のところ、 「自分」というのは当然ながら、 為政者や管理者の側ではないのだから、 管理やら秩序やらの心配をする必要はないのだ。 だから、心おきなく、 スターガールになればいいのだけれど、 ここに、今度は「リースマン」が立ちはだかる。 (シィアル)
さらに思いはとりとめもなく漂流して、 最後はアメリカの社会学者D・リースマンの『孤独な群衆』へ
※この思いはどこにたどり着くこともなく、もやもやと漂いながら、今はすでに、2005年5月。アメリカの社会学者のDavid Riesman(デービッド・リースマン)は、2002年の5月10日に死去。リースマン死去の報に触れ、いろいろなことを考えた頃であった。 05.05.14. / シィアル
『約束された場所で―underground 2』 著者:村上 春樹 / 出版社:文春文庫
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管理者:お天気猫や
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