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夢の図書館新館

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-- 2002年04月26日(金) --

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『ニーベルンゲンの歌』

作曲のみならず自ら作劇するワーグナーは 北ヨーロッパに残る英雄ジークフリートの物語の断片と ドイツ叙事詩の最高傑作『ニーベルンゲンの歌』の前半をもとに 神々と妖精と人間達の思惑の交差する ファンタジックでヒロイックな物語を世に残しました。

ところで、英雄と美しき異国の姫、 彼女を妻に望む王と妹姫に奸臣、 古来から語り継がれ、13世紀後半にアイスランドで記録された英雄譚と 登場人物と出来事はほとんど同じなのに、 13世紀前半にオーストリアあたりの詩人が書いたと言われる 『ニーベルンゲンの歌』のほうには面白い事に物語の進行に 神や魔法による超常的な仕掛けが最小限にしか用いられていません。

主神ヴォータンの愛娘、天駆ける戦場乙女ワルキューレの一人である ブリュンヒルト(ブリュンヒルデ)は『歌』では 並外れた美貌と膂力を持つ以外は一応人間の女王ですし、 ジーフリト(ジークフリート)がハゲネ(ハーゲン)の策略で飲まされて 彼女を妻にしていた事を忘れさせられる「忘れ薬」の出番は全くなし、 ですから若い英雄ジーフリトが美しい妹姫クリエムヒルト(グートルーデ)を 貰い受け、グンテル(グンター)王に協力する事に何も不都合はありません。 また後に英雄殺しに荷担するグンテル王が、『歌』では ジーフリトでなくてもつい手を貸してあげたくなるような なんとも善い人に描かれているんですね。 さすがに英雄の人気アイテム「隠れ兜」だけは使いますが、 おそらくこの時代のキリスト教の清廉が、異教的な神々や 不道徳と思える旧い風俗を許さなかったのでしょう。 一方、現代人のワーグナーは首尾一貫した『歌』のストーリーに 古い伝説の魔術的要素を戻して楽劇を完成させています。

魔法の使えない人間の話じゃ面白くない? そこがこの名の残っていない詩人の天才。 魔力に頼らずに、人間性を描く事によって 抗う事の出来ぬ力が王国を滅ぼす様を見事に描ききっています。 誇り高い王妃二人のささいないさかいが みるみるうちに穴を広げ、取り返しのつかない悲劇を生む。 この詩の中ではブリュンヒルトの金の指輪は 何ひとつ魔力を持たないただの指輪であるにもかかわらず、 手にした者に恐ろしい災いをもたらしてしまうのです。

前半の晴々とした王国の眩い日々は 英雄ジーフリトの暗殺で終りを告げます。 後半の、王妃クリエムヒルトの壮絶な捨て身の復讐物語は 実在した王国の滅亡譚として語られる事によって 史実のように歴史の中に嵌め込まれる仕掛け。 各地に散らばって語り伝えられる伝説を取材した作品は 往々にして話の整合性がとれていなかったり キャラクターが一貫していなかったりするものですが、 この名の残らぬ詩人は強靱な意志と稀に見る構成力を持った 優れた中世人だったようです。

吟遊詩人の奏でる調べに乗って、 徳高き王、朗らかな英雄、美しき貴婦人、 勇並びなき武人、心優しい殿の運命が、 多くの聞き手の鼓動を早め、喝采を呼び、涙を誘った事でしょう。 キリスト教と騎士道との端正な鎧の下に 荒々しく沸き上がるゲルマンの血潮、 あまたの宝石で飾られた精密で堅牢な塔が 粉々に砕け散る様を見るような、劇しく華麗な一大叙事詩。

私が徳高い富貴の身の貴人であったなら、 名の残らぬオーストリアの詩人とやらに 船に堆く積み上げた絹織り物に珊瑚に真珠、 得難き東洋の宝の数々を贈るであろう。(ナルシア)


『ニーベルンゲンの歌』前編・後編 著者:不明 / 訳者:相良守峯 / 出版社:岩波文庫

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