大阪で生まれた私ですが、父の転勤で幼稚園時代に今住んでいる土地に移り住み、はや何十年。
母の実家が滋賀県は琵琶湖のほとりに有り、祖父母が健在の時には、学校の長期休みごとに家族で母の「親元」へ行っていました。(何故か母は実家と言わず「親元」と言います。)
子供の私は、「おばあちゃんの家」へ行くのが大好きでした。
祖父母は父母のようにガミガミ口うるさいこともないし、その話し口調が大好きでした。大阪弁よりは京都弁に近いその優しい柔らかな話し方。
大阪から、こちらに来てすぐの頃は周りの人の話し方が皆怒っているように聞こえました。子供心に軽い対人恐怖症になったほどです。
それが、母の実家へ言った時だけは、その柄の悪い(当時はそう思い込んでいました)話し方から開放され、まったりとした雰囲気に包まれることができるのですから。
冬は冬でこの地方ではめったにお目に掛かれない積雪があり、大きな雪ダルマを作ったりしてとても楽しかったので大好きでしたが、夏は琵琶湖はM浜で泳ぐことができ、湖の水は海水と違いべとべと体に張り付くことも無くそりゃあもう天国でした。
祖母は、湖に行くことを「浜へ行く」と行っていました。
私は弟と従兄弟といっしょに祖母に浜に連れて行ってもらいました。
近くの畑でもいだ瓜を畑の周りに流れる小川で冷やしてもらい湖で唇が真っ青になる程しこたま泳いだ後、瓜の皮を剥いてもらい従兄弟同士でむしゃむしゃ頬張りました。
祖母の家に戻ると井戸に西瓜が丸ごと冷やしてありました。
おじは切り分けてもらった西瓜を「お〜 冷たくて、歯がうずくぅ〜」と大騒ぎして食べました。
一方、私の家では氷で冷やす冷蔵庫で西瓜を冷やして食べていたので、井戸水で冷やした西瓜は冷え方が足らないように感じました。そう、電気冷蔵庫がまだまだ普及していない時代です。
子鮎の佃煮、鱒、鮒寿司・・・弟はにおいが苦手で食べられないものも私は子供の癖に大好きでした。
「美味しい、美味しい」とばくばく食べる私を、祖父母は嬉しそうに目を細めて眺めていました。
そんな母の実家も祖父母が亡くなってから行くことはなくなりました。
10年ほど前にお墓参りに行ったきりです。
掲示板でおいしそうな西瓜の写真を拝見し、急に思い出した幼い頃の夏の出来事です。