今日は、いつもより少しだけ真面目なお話。
昨日の日記で『ゲーム脳』のことを少し書いたんだけど、
最近の子って昔の子より、すぐにキレる子が多いみたい。
その理由は、
「テレビがいけない」とか
「テレビゲームがいけない」とか
色々言われているけれど
私なりに、ひとつ思い当たることがある。
それは、最近の学校が、給食を残して良いこと。
そのせいで、給食後には本当にたくさんの残飯がごみとして出るのだとか・・。
私が小学生の頃の学校の先生って、すごく横暴だった。
いや、先生の中には横暴な人も何人かいた。
水泳の時間に水に顔をつけるのを怖がっている子は、先生に無理やり顔を水に沈められたり、跳び箱が飛べなかったら飛べるようになるまで、居残りさせられたりした。
そういうのって、正直「やりすぎじゃないのかな」って思ったこともある。
だけど、給食を無理やり食べさせられたことで、私達は知らず知らずのうちに我慢することを覚えたんじゃないのかな。
正直、昔の給食ってひどくまずかった。
それは、当時は牛乳ではなく、「脱脂粉乳」というこの世のものとは思えないほどひどい飲み物がセットだったせいもあると思う。
思い出してみると、好きなメニューは最初からパックされたスパゲッティミートソースくらいだった。
キャベツの千切りが全然「千」じゃなくて、「棒」か「角材」みたいで、しかもそのキャベツの上でイモムシが動いていることがあった。
ラッキーな日は、豚汁やカレーライスの豚さんが、大きな白い脂身の固まりで、ブタさんの産毛付きということも有った。
が、当時の担任は、決して、給食を残すことを許してくれなかった。
私は、結構諦めが早かったので、嫌いなおかずの時でも、我慢して飲み込むようにしてたいらげた。
だけど、なかには結構しぶとい子もいて、給食の時間が過ぎて昼休みの時間になって、先生に怒鳴られても、ぶん殴られても決して食べない子もいた。
それはそれで、なかなか根性の要ることだった。
なかには、給食が嫌で登校拒否(不登校)になる子もいたくらいだ。
けど、大人になってから考えると、あの、「給食」という当時の子供にとっては「拷問」に近いイベントを耐え抜いてきたからこそ、今の私達に「我慢する」という心が生まれたんじゃないかと思う。
毎日、美味しいものばかり食べていては美味しいものの有り難味も薄れる。
毎日、好きなものだけ食べるような生活を送っていると、少しのことが我慢できないキレ安い子が育つ。と思うのは、余りに極論だろうか・・。
そういえば、小さいころ何度も親から言われたっけ。
「戦争中は、食べるものが無くて、芋の茎も食べたもんだ。食べ物があるだけありがたいと思え。嫌なら、食べるな。」
その時は、「別に、高価な物が食べたい訳じゃない。もっと、口に合うものを作って欲しい。」と思ったものだが、我慢して食べることも時には必要なのかも知れない。
自分が年を取った今になって感じることだ。