安心毛布
    

2001年04月29日(日) こんなに頭使って書いたの初めて(笑)

さて・・・昨日の日記を書いてから、ずっと今日の日記を悩んでいた。
誤解されないように、かつ分かりやすく書くにはどうすればいいか。
そもそも、普段からずっと考えているようなことではないわけで、漠然と思っていたことをハッキリと表現しようとしているのだから。
てなわけで、疲れてる人は今日は読まない方がいいかも(笑)

昨日も書いたとおり、ゆんにとって頼るべきなのは自分の精神力だと思っている。その精神力を目に見えるものすると、宗教で言う教義だったり教祖だったりするのかも知れない。
だから、宗教で説いている教えを信じることで、本人の精神力が強くなるんじゃないかと思っている。精神力が強くなれば、今までなら悩んでいたようなことでも自分で乗り越えていく力が出来るのだから、宗教のおかげで悩みがラクになったとか、明るくなったとかそういうことが起こっても不思議ではない。

ところで、遠藤周作の「沈黙」は、ゆんの愛読書のひとつだ。
キリスト教禁制時代の宣教師を主人公にした物語で途中で何度も信者たちが迫害され拷問され死んでいく。もちろん、改宗する信者もいるんだけど、どんなに酷い拷問を受けてもそのまま死んでいく人たちもいる。
それはやっぱり、キリストを畏れ信じる力が彼らを強くしたんだと思う。キリストの力ではなく、彼らの精神力だ。
少女漫画の傑作「ポーの一族」でも言っていた。あれはバンパネラの話なんだけど、信仰のない十字架など怖くない、と。怖いのは、狂信する精神だと。

極端に言えば、神さまっていうのは自分自身だっていうこと。
ちょっと話が違うかもしれないけど、ただのビタミン剤を酔い止めの薬だと言って飲ませても割と効くらしい。逆に副作用で気持ちが悪くなるかも知れませんと言って飲ませると、やっぱりホントにそうなる人もいるらしい。
人の思い込みってそれだけの力があるんだよ。
だから、宗教を信じる前に、自分自身の力を信じてあげたらいい。まぁ、それが出来ない人や、出来なくなった人が宗教に走るんだろうけど。

あ〜・・・Mちゃんとの問答まで書けないな(汗)
でも、ゆんの宗教観を理解してもらってないと、問答を書いてもいちいち説明しないといけないから、ま、いいか(笑)それは、また明日にしよう。
大雑把にでも、ゆんの考え方を分かってもらえた? 自分でも難しくてなんだか分からなくなってきたけど(笑)

ちなみに、ゆんは一応キリスト教です。カトリックね。
一応って言うのは、生まれてすぐに洗礼を受けて洗礼名も持ってるし、小学生の頃は日曜の朝に礼拝も行っていたんだけど、ただそれだけで今は何もしてないから(笑)
でも敬愛するマザーテレサと同じ洗礼名っていうのは嬉しく思う。
あの名前は、洗礼を授けてくれた人の洗礼名を受け継ぐシステムで、ということは、ゆんに洗礼をしてくれた人とマザーテレサに洗礼した人を辿るとどこかで合致するわけで・・・なんか親戚っぽくない?(違)
ていうか、多分元々の聖テレジアまでいかないと合致しなさそうだけど(笑)

では、続きはまた明日〜♪

2000年04月29日(土) お買い上げ