このブログで、よく延命十句観音経に救われた話などを書いているが、別にぼくはいつもこのお経を唱えているわけではない。 確かにそうすれば心に執着がなくなったり、他人を許したり、いろいろといいことが起きるのだろう。 だが元来移り気な性格だから、「大丈夫」という言葉をいつも口にしていればいいことがあると聞けば、しばらく口にしているし、「ありがとう」が魔法の言葉だと聞けば、しばらくそればかり唱えている。 で、しばらくが過ぎれば、元来の怠け癖が出て、歌などを口ずさんでいる。 では、いつ十句経を唱えるのかというと、特に決まっているわけではないが、これが人生の節目だと直感した時と言ったらいいか。 そういう時には、仮に「ありがとう」という魔法を唱えていたとしても途中で捨ててしまい、すべてを十句経に預けてしまう。
現在、嫁さんは胃の病気にかかっている。 先に人間ドックで検査を受けたのだが、その結果が思わしくなく、再検査を宣告された。 それを気にしてか、食も進まなくなり、痩せていく一方だ。 ということで、先週嫁さんは看護師である義妹に連れ添われて再検査を受けてきて、昨日その結果を聞きに行った。
周りから、「癌ではないか」とか「入院せんといかんのじゃないか」とか言われて、前々からけっこう気にしていたぼくだったが、直感が「この時だ!」と思ったのか、嫁さんが出て行ってから、自ずとぼくの口が十句経を唱えだした。 だって、「大丈夫」じゃないでしょう。 こういう時、「ありがとう」じゃいかんでしょう。 ということで、けっこう真剣に唱えていた。 特に時間を数えていたわけではないが、おそらく1時間以上やっていたのではないだろうか。 その間は、お茶すら飲まなかった。
唱え始めてから30分を過ぎた頃だったか、全身がポッと温かくなるのを覚えた。 そして心の中に灯りがともされたような気分になり、気持ちが楽になった。 過去に何度か十句経に救われたことがあるが、その時の感覚といっしょだ。 そして「嫁さんは助かった」と思えてきた。
それから2時間ほどして嫁さんは、ヘラヘラ笑いながら戻ってきた。 結果はピロリ菌による初期の潰瘍だったらしく、手にはその菌を退治する薬を持っていた。 治療には時間がかかるらしいが、入院をしたり、癌などのやっかいな病気ではなかったそうだ。 ま、十句経のおかげで、ひと安心したわけだ。
ところで嫁さんは、結果を聞きに行く前は死にそうな顔をしていたが、何でもないとわかったとたんに食欲が出てきたらしく、しっかりと食事を摂り、何とデザートまで食べてきたという。 こちらは心配でお茶も飲まなかったというのに…。 何でもなかったのなら、何でもなかったと連絡ぐらいは入れてほしいものだ。 この女はいつもこうなんだ。 きっとそういう普段の嫁ブーに戻ったのも、十句経による霊験なのだろう。
|