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2009年10月31日(土) 巨人の星

今でこそ福岡も民放テレビ局が5つになり、ほとんどの放送が東京と同じ日時に見られるようになったが、昔は悲惨であった。
ぼくが小学生の頃は、まだ日テレ系とテレビ東京(当時東京12チャンネル)系の放送局がなかった。

ぼくは当時プロレスが好きでよく見ていたのだが、リングなどの専門誌はG.馬場やA.猪木の日本プロレスの記事が中心だった。
福岡には日テレ系の放送局がなかったので、日本プロレスをやっておらず、TBS系の国際プロレスしか見られなかった。
華やかな馬場や猪木の中心の日本プロレスに比べると、サンダー杉山や豊登中心の国際プロレスは子供心にも地味に見えた.
16文やコブラツイストの代わりにこちらで見られたのは、雷電ドロップやさば折りであった。 そういえば、シャチ横内という人の十字チョップという訳のわからない技もあった。
デストロイヤーやボボ・ブラジル,フィリッツホン・エリックなどは、雑誌でしかお目にかかれない。 かなり悔しい思いをしたものである。

そういう状況も小学6年の秋には改善された。
日テレ系の福岡放送が開局したのだ。
これで念願の日本プロレスが見られるようになった。
金曜夜8時、あの「チャーンチャ、チャーンチャ、チャッチャチャッチャチャン・・・」というテーマソングの嬉しかったこと。
G・馬場がいる。A・猪木がいる。大木金太郎やヤマハブラザーズがいる。まだ吉村道明も現役だった。
でも不思議に思ったことがある。
国際プロレスを見慣れたぼくには、日本プロレスのマットが狭く見えたことだ。
特にG・馬場が大きすぎるので、そう感じたわけではないが。

さて、福岡放送の開局で面白いことがあった。
アニメ(当時はテレビマンガといった)「巨人の星」のことである。
福岡放送が開局するまで「巨人の星」は、TBS系のRKB毎日で金曜午後6時30分からやっていたのだが、これはもちろん一週遅れの放送だった。
福岡放送開局と同時にRKBは打ち切ると思っていた。
それが2〜3ヶ月継続したためにこの事態が起きた。

これは、ぼくたちの小学校(いや県内全部の小学校でそうだったのかもしれない)では大事件だった!
「巨人の星」は日テレ系では土曜午後7時からやっていた。
この時間帯の放送しか見られない人は、星飛雄馬の一球を一週間待たなくてはならなかったのだが、福岡の人間はこれを翌日に見られたのだ。

この事態が起きてから、「巨人の星」を見る方法が三通り出来た。
一つは、毎週2度見る方法。
前回の復習をして本編に入る、という見方だ。
この方法が一番多かったような気がする。

もう一つは、毎週1度(福岡放送かRKBかで)見る方法。
これは少数派だった。塾通いの人がこの方法をとっていたようだ。

最後は、一週おきに見る方法。
この事態を最大限に利用する方法で、週2度よりも新鮮味がある。
ただしこれをやってしまうと、学校で話題についていけなくなるし、何よりも学校ナあらすじを聞いてしまうので毎週見るのと何ら変わりはなくなってしまう。いや、中途半端な情報のためそれよりもさらに面白さは半減する。
ということで、この方法を取る人は、ぼくの周りではいなかった。

それから20年後、TVQ(テレビ東京系)開局の時はこういうことはなかった。
唯一(?)の人気番組「開運!なんでも鑑定団」は、TVQ開局後に始まっている。 もし、開局時に既に始まっていたのなら、こういうことになったかもしれないが。

それにしても、「巨人の星」が本家日テレ系の福岡放送で始まってからも、しばらく放送を続けていたRKB毎日の意図はなんだったのだろうか。
今でも、ぼくの中では謎なのである。


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