考古学を無視して書いていきます。 縄文時代のイメージというと、「縄文土器、採集・狩猟」が主であろう。 縄文時代は一万年続いたといわれているが、一万年もの間、土器の製作や採集・狩猟だけの停滞した生活を送ったわけではないだろう。 なぜなら人間というのは、よりよいものを求める実験好きな動物だからだ。 そこには文学や芸術や科学もあったはずだ。 「何も残ってない」という理由だけで、原始時代だと決めつけてはならないと思う。 それは、「解明されてないから」という理由だけで、超常現象を否定するのに等しい。
縄文時代、今の歴史時代より遥かに長い年月、きっと今に残るものがあるとぼくは思っていた。 最近、ようやくその答が見つかった。 彼らは実に貴重な遺産を後世に残してくれているのだ。 それは、生命にかかわる一番大切なもの。 そう、「水」である。 彼らは彼らの科学で「山は樹を生み、樹は水を生む」という理を知っていた。 彼らは、いたるところに山を造り、樹木を植え、水を生んでいった。 (よく山に行くと、神社や祠を見かけるが、あれは造山や植樹の記念碑だとぼくは思っている) それにしても、貴重すぎる遺産だ。 現代の浅はかな知恵で、破壊してもよいのだろうか?
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