ぼくと同じように、毎日神社にお参りに来る人がいる。 きっと願掛けしているのだと思う。 邪魔しては悪いので、その人が来る前にお参りをすませるようにしているが、たまに時間がいっしょになることがある。 その時は、ぼくが早く着いていれば相手が、相手が早く着いていればぼくが、一方のお参りを終わるまで終わるまで待っている。 別に会話を交わして決めたわけではなく、暗黙の了解である。
ま、こういうのは参拝客があまり多くないから出来ることだ。 メジャーな神社ではこういう悠長なことは出来ない。 例えば宗像神社に行けば、いつも複数人の人が同時に参拝している。 もっとメジャーな太宰府天満宮だと、その何倍もの人が同時にパンパンとやっている。
ところで願掛けをやる時、参拝者が複数人いてもいいのだろうか。 神様なのだから、人の多い少ないは関係ないに決まっているとは思うが、何か複数人が同時にパンパンやると、御利益が減るような気がする。 これも人間の持つさもしい性なのだろうなぁ。 宗教戦争も教理だの何だのと小難しいことを言っているけど、案外、発端は人間の持つさもしさにあったのかもしれない。 人間はそこまで小難しい動物ではないんだから。
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