頑張る40代!plus

2006年02月09日(木) 人生の岐路(1)

昨年の10月に占い師から今後の展開を聞いたことといい、
この春の転勤のことといい、その際これまで長年やってきた仕事から離れなければならないことといい、数えの50歳になったことといい、またそういうことに対する行動といい、その精神状態といい、今ぼくは間違いなく人生の岐路に立たされている。
過去に何度かそういう経験があるのだが、そういう時というのは、ちょっとしたことが運命的なことのように感じるものだ。

例えば、人のちょっとした言葉が気にかかる。
それを聞いたことで大きく人生が変わるのではないだろうかとか、その言葉の裏に何か将来を暗示するものがあるのではないかとか…。

昼間の話。
本社の人と今後のことについて話すことがあった。
「しんちゃん、あんたいったい何がしたいと?」
「何がしたいか、ですか…。自分の中ではちゃんと確立したものがあるんだけど、それを言葉にして説明出来ないんです」
「ということは、具体的な目標が定まってないということやね」
「いや、自分の中では具体的なんですけどね」
「いや、それを他人に伝えることが出来んということは、具体的じゃないということよ。自分が何をしたいというのを明確にせんと、運命は動かんよ」

『自分が何をしたいというのを明確にしないと、運命は動かない』というのは、昔読んだ自己啓発書などでよく目にした言葉である。
その頃は、よく『将来こうなる』という強い思いを持って行動していた。
しかし、次第に力んでいる自分に気づくようになる。
言っていること、やっていることに自分らしさが感じられないのだ。
周りもぼくの変化に気づいたようで、ぼくに対して何か他人行儀な言動をとりだした。
そこでようやく、そうやることが自分に合ってないと思うに至ったり、

つまり、『自分が何をしたいというのを明確にしないと、運命は動かない』という言葉は、ぼくがすでに卒業している言葉なのである。
それなのに、今、その言葉がぼくの胸に突き刺さる。
「運命がこの言葉をぼくに聞かせたのではないか」とか、「今、それをやることで、人生が開けるのではないか」とかいう思いが、ぼくを揺さぶる。

他にもある。
先日、嫁ブーから意外なことを聞いた。
ぼくのまったく知らないところで、自作曲『月夜待』を支持している人がいるというのだ。
どうやら、その人はネットで偶然にぼくの歌を聴いたらしい。
まあ、喜ばしいことではあるのだが、普段なら「ああ、そうか。それは嬉しいのう」で終わるところだろう。
ところが、今そういうことを聞くと、運命の暗示のように聞こえるのだ。
そして、「もしかして、この曲でぼくは飛躍するのかもしれない」などと思い、「また歌を始めるか」となってしまう。

そこで、人から「しんちゃん、春からどうすると?」と聞かれると、「おれは歌手になるんよ」などと言ってしまうのだ。
確か、前の会社を辞める時にも同じことを言っていた。


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